2009年10月18日日曜日

Nightrun(2009/10/17)



夕方から雨が降り出したが、この時間になって星が瞬き始めた。出れると踏んでつなぎに腕を通す。行き先は、何も考えず思うままにハンドルを向ける。気がつくと、この街の旧市街を抜け海に出てR134に乗って南に向かっていた。



暗いが穏やかに見える夜の海を右手に見ながら、逗子、葉山と淡々と流れに乗って走る。途中、路線バスが道を塞いで思った様に走れず、抜ける所は抜き、抜けない所はそのまま後ろにつく。その内、また小雨が降り始めて一気に気分が萎えた。
突端まで行かず、三浦市内からそのまま横横道へ。路面は濡れているが、全くの無風、第一の壁あたりまで一気に加速し、一瞬で横須賀PA。ここで一服。





雨は止んだが、敢えてペースを上げずそのまま日野ICへ。
そろそろ新しいNightrunルートを開拓せねば。。。














本日の走行距離 70km

2009年10月4日日曜日

Nightrun(2009/10/03)















この所、秋の長雨が続いていたが、この日は午後になって急速に晴れ始めた。夜空はちょっと雲がかかっているが、まさに中秋の名月である。ツナギを纏ってちょっと遅めに家を出る。目指すのは、半島の突端ではなく、県の西端の温泉地である。とは言っても温泉には入らないのであるが。海沿いのバイパスで140km/h程度の速度で流す。軽い老い目(所謂老眼)に右目が乱視なので正直言って見難い。高速コーナーがどう曲がっているのかが読み辛く迷惑覚悟でハイビームで走り続ける。バイパスの終点から箱根新道を駆け上がる。意外にクネクネと走り辛い。しかも夕方まで雨が降っていたのだろうか、路面がぬれて滑りやすそうで、正直、今日は面白くない。今宵は半島の先端の方が良かったかも知れない。後悔先に立たず。終点から折り返し、今度はR1の一般道を下りる。まあ他の四つ輪にくっ付いて下りるので、面白くもなんとも無いのだが。こんな日は、ペースカーが入っていた方が良いのかも・・・
































再び海沿いのバイパスに出て小休止。相変わらず、目が見えないためハイビームの連続で走り続ける。23時、自宅着。

本日の総走行距離:不明

2009年9月26日土曜日

飛騨山中迷い旅(2009/9/21~9/22)

シルバーウィークとやらの秋の五連休、一泊二日の合法的家出に、家庭内調整も成功したが、残念ながら駅前メンバーの予定は合わなかった。何とか調整するという話ももらったが、お互い無理を言いたくは無いので、早々に西進はなくなっていた。

なら独りで北進なのだが、今回ばかりは同行二人で行こうと、滋賀県に住む実兄を誘ってみた。
そして9/21に信州に行こうと話は決まったのだった。

2009/9/21(月)晴れのち曇り














朝4時55分、早朝まだ暗い中、家を出る。
西湘バイパスから箱根に出て朝5時半。予報と違い雨が降り出したので便利屋で朝飯を買う。雨宿りする程の降りでもなく、そのまま霧のR1を駆け上がり御殿場へ。山梨まで来ると晴れていた。













山中湖から僅かに見える富士山を狙う。

















山中湖、河口湖と通り甲府を経て朝8時、甲府昭和ICから中央道の人になる。













中央道は空いていた、140km/h程度で流しながら久しぶりの南アルプスを左手に見る。
いつもは見えないはずの北岳が覘いているなと八ヶ岳SAからシャッターを切るものも、後で実兄に確認したらこれは摩利支天を抱く甲斐駒であった。











諏訪南で一旦中央道を降りて、R152にスイッチ。
山間部を高遠方面に抜けている快適二車線道は長閑の一言、高遠まではあっという間。
駐車場の向こうに見えるのは既に南アルプスで無く、中央アルプス。
伊那で再び中央道に入り、飯田、そして久しぶりの恵那トンネルを抜けると中津川であった。
正確に言うとここは信州長野県ではなく、岐阜県である。


























集合はR19上のドライブインの駐車場。

着いたのは11時過ぎ。
8月以来に会った実兄は浮かぬ顔で「キャブおろさなあかん」と一言。
来る前から30年前の山葉の三気筒車は不調であることは聞いていたが、直前で変えたジェット類が合わなかった様で、真ん中の気筒だけがカブっていると言う。
結局、この後キャブを下ろして調整。

ここで、行き先を決める。
このままだとどこまで行けるかわからない。
しかも明日は雨天になると言う。
と言うことで、当初予定していた奥穂高から安房峠を越えて信州へと言う案はこの時点で消え、中津川からR257でトラバースして下呂、運よく行けば郡上八幡へと向かうことになった。











で、結局行き着いたのは下呂のちょっと北にある馬美村のキャンプ場。途中、山葉の調子が戻らず、再びキャブを下ろす必要も出てきて、早々に泊地へと言う事になった。しかも、確か15年前、課町長様と野宿できた下呂の河原は野宿禁止とデカデカと書かれ、期待は見事に裏切られ、キャンプ場の無いこの辺りを迷走した結果が、このキャンプ場であった。因みに季節はずれのためか、管理人のオバチャンは6畳一間のバンガロー一棟を一泊2000円にまけてくれると言うので、即決。








で、毎回どこに行っても駅前の人間は鍋なのである。よく考えると実兄とは、私が中学生、高校生の頃
に一緒に山に行き野宿をした経験は何度もあるが、お互いバイク旅で野宿と言うのは実はこれが始めてである。因みに実兄は単車暦35年。私は25年なのであるが。

持病のため、本来は麦酒好きなのに、あまり飲めない実兄と鍋をつつき、色々な話をしながら更けていく馬美の晩なのであった。一番の心残りは温泉地に来て、温泉に入れなかったことではあるが。

2009/9/22(火)雨のち曇り













夜半から雨、明けても小雨。開け放したバンガローの扉から山葉の三発を撮る。別冊モーターサイクリストの表紙的写真。




















お互いオッサンなので起床は7時前。
鍋の残りに残ったきしめん一玉を入れ、朝食とする。
雨が降ったりやんだりで、あまり期待は出来ないので、二人で協議の結果、早々に南下して解散と言うう事にする。
ただ、ころんでもただでは起きないのがオッサンである。
悔しいのでR257を一旦北上して、R472せせらぎ街道にスイッチして郡上八幡まで行ってから南下と言ルート取りとなる。
R472せせらぎ街道は98年に一度寅で走ったことの有る道だが、何時来ても素晴らしい道。
あまり道自体を目指して走ることもしないのだが、この道だけは今度は降っていない時にまた来るぞと
いう気にさせる道では有る。










道の駅美並で、雨でやる気を失くすオッサン二人。映っているのは実兄53歳。









結局、岐阜まで出て11時過ぎにR21の岐路で実兄と別れ、ここからは再び独り旅。
東海北陸道から東名の人になるも、前政権の失政で渋滞している東名道を三ケ日で見放し、その後は下道の人に。静岡県をほぼ西から東に横断することになった。写真はかなり疲れてきた富士の道の駅。
だが、疲れるのはまだ早かった。この後、三島からR1が渋滞。箱根峠の上りまで渋滞し、箱根峠を漸く越えたと思ったら小涌谷あたりで小田原辺りまで続く大渋滞に巻き込まれ、結局、箱根新道に乗りなおすハプニングもあり、家に着いたのは晩の22時。今回何が疲れたって、この箱根越えが一番疲れた。


2009年7月11日土曜日

Nightrun(2009/07/11)














前回、バイクに乗ったのが5月の連休だった。と、言う事はかれこれ2ヶ月以上乗っていない。

昼間に子どもにつき合っていて右手首を痛めたのも構わず、20時半前に漸く時間が出来たのでつなぎに着替えNighhtrunへ。
目的地は半島の突端、城ヶ崎。ほんの眼と鼻の先ではあるが散歩程度で出掛けるのは丁度良いのだ。往路は県道からR134の海沿いへ、梅雨明け近いとはいえ、夜のこの時間ならつなぎを着ていて丁度いいと思った途端、二箇所で夏祭りで通行規制に嵌ってしまい、汗をかくこと二回。漸く突端に着いたのは21時半を回っていた。
この春からコインパークになった駐車場前の照明灯の下で小休止。駐車場からちょっと離れた所に、バイクを二台止め話し込む若造が二名。族と言う感じでもないが、照明灯の明るさに釣られて夜な夜な寄って来るのは、オイラも含めて夜乗るバイク馬鹿の宿命。まあ俺たちゃ蛾みたいなもんヨ!
帰り際に三浦海岸沿いを通る。朧月の光の帯の、
まさに房総半島まで道を照らすがごとく海に反射しているのが、美しく印象的だった。(残念ながらデジカメでは撮れない)


衣笠ICからは横横へ。途中、県警を警戒して走行車線を走っていたら、右から元気の良い四輪のBoxsterSにぶち抜かれる。朝比奈ICで下りるつもりが、つい釣られてついていった途端にR16に逃げられ拍子抜け。渋々、予定外の日野で下りた。あとは成り行き。23時前、無事帰着。











総走行距離81km
本日の反省、写真が全く撮れてない!

2009年5月3日日曜日

Nightrun2(2009/05/03)











この日もほぼ前日と同じ時刻にNightrunに出かける。
ガレージからSTを引きずり出し「今日はどこに行こうか?」と一瞬考えた結果、久方ぶりにターンパイクに向かう事にする。昼間は大渋滞を引き起こしていたR134は、この時間になると拍子抜けするくらい屁の島の前からがら空き。と思ったらやはり茅ヶ崎あたりから混み始め西湘バイパスまでは渋滞の中をすり抜ける。








バイパスに乗ってしまえば通行も疎ら。ターンパイク入り口まではあっと言う間。500円払うのもそこそこに坂道を駆け上がる。この時間、ギラ子かキリンか大仏か?熱心な走り屋連中が居るのかと思ったが、全くの拍子抜け。まあ唐突に出てこられても競走なんて出来ない身の上なんだがね。
街灯もないターンパイクをハイビームで照らしながら走る。上に行けば行くほど風がきつく寒い。速度はどんどん落ちた頃に大観峰。
駐車場には777万円のGTRが一台ポツねんと居るだけで、バイクも四つ輪もまるでいない。寒くて一枚シャッターを切っただけで早々に新道にハンドルを向ける。








おっかなびっくり新道を延々40km/hで走っているサニーの後ろを下りて小田原。
西湘バイパスで車が空くと眼のリハビリもかね壁あたりまで引っ張ってみる。そのペースのままR134へ。











昨日より早く10時半に家着。今年のGWは終わった。

総走行距離 107km

Nightrun1(2009/5/2)












2月に車検を通すか、カブ90に乗り換えるか悩んだ挙句に車検を通し3月に引き上げてきて早や2ヶ月が経とうとしている。今年のGWもどこにもバイクで泊まりの旅に出られず(2年連続)、今年最初のNightrunも今年に入って5ヶ月がたったこのGWとなった。

晩8時過ぎ、子供たちと寝る支度をしている女房に「ちょっと出てくる」と言い残してつなぎに着替えヘルメットを持って外に出る。昼間は暑い位だったのに、夜になると流石に本来の気温に戻った様だ。ちょっとした肌寒さ。車検でバッテリーを新しいものに変えたので、セル一発で水平対向が目覚めた。

どこに行こうか?ほぼ2ヶ月ぶりの走行なのでリハビリを兼ねてやはり半島の突端か・・・。











給油をして今日はJR沿いに暫く東進してから、ハンドルを南に向ける。横横道の下をくぐって六浦からいつものR16へ。ペースは飛ばすでも無く、他の四輪より若干速い位の速度で横須賀へ。久里浜を経て海沿い。房総半島の灯りを遠めに見ながら、街灯に照らされた道以外は漆黒の半島の丘陵地を往く。海から吹き上げてくる風がきつい。低気圧が近づいている証拠か?
ちょっと顔を出さない間に岬の突端の駐車場はコインパーキングに変貌していた。世の中どんな所からも金を取ろうとする様になってしまった。













帰りは最近になって未開通区間が開通した横横道。開通区間でなくいつもの佐原ICから乗る。横須賀PAまで3速から4速、八部開。第一の壁一歩手前まで引っ張る。
横須賀PAからも眼の調子を確かめながら壁一歩手前まで引っ張ってみる。途中、VMの元気のいい小型車が居たが、追い越し車線を追いつかれていた時は譲らんかいアホ。











全体的にはスローペースのまま、今年最初のNightrunは終了。

総走行距離93.4km

2009年3月29日日曜日

近況

結局、3月の初旬に車検からSTを引き上げては来たものの、それからこの約一ヶ月全く乗っていない。この所、もう四月の声を聞こうかと言うのに季節はずれの寒さ。それでも昨日晩になって久しぶりにNightrunにでもと思ったのも束の間、晩にサッカーのワールドカップ予選がテレビで放映されると息子に聞いて出かけるのを止める体たらくぶり!別にサッカーが殊更好きと言う訳ではないのだが、子供が中心になって家庭が回っている間は郷に入れば郷に従えなのだ。ここで親父が勝手にバイクに乗りに行ってしまっては親父の説得力なんて微塵もなくなってしまいそうだからなぁ。(もう無いと言う声もありそうやな・・・・)

ところで、課町長様はついにカブの世界に足を突っ込まれましたね?おめでとうございます。この世界深いですよ!抜けられませんよ!本気でカブ屋修行する積もりですね?因みに今回、お義父さんから頂戴した50ccのカブって、昨年の九月にお邪魔した時に在った、ゴールドの角目カスタムで無いか?と思うのだが違うのだろうか?

これから暖かくなったら、一度そのカブで近所の林道に弁当持って走りに行ってみてください。普通のバイクでは味わえない途轍もなく幸福感を味わえるスローな走りに病み付きになるはず。カブに乗ったら、速さなんてとどのつまり餓鬼が競うものだと妙に納得してしまうはず。なんてね・・・

そのカブに野宿道具満載して昔みたいに旅に出たいと思いまへんか?

2009年2月21日土曜日

あの頃

以前どこかに書いた気がするが、初めてバイクに興味を持ったのは小学校の3年生の頃。当時既に高校生の兄貴にくっ付いて遊んでいる餓鬼やった。やれマッハだ、やれWだ、RXだXSだなんて、耳だけは英才教育を受けていたのでね。あの頃、名古屋のN山高校の駐車場に止まっていたGT750の初期型を間近で見た頃から、未だに鈴木の2スト水冷三気筒が気になっているのは事実。既に内燃機関の終焉に直面しかけているので、2ストロークの三気筒なんて、もう永遠に乗れないのだろうけど。
で、初めてバイクに乗ったのは中学1年生の頃だった。私の記憶の中のバイクの記憶には実兄が必ず登場するのだが(大体、年齢が微妙に離れているのでこれは仕方の無いことだ)あの年の夏もそうだった。未だに覚えているあの夏休み。既に大学生で名古屋に下宿していた実兄が、黄色い鈴木ハスラー125に乗って帰省してきたのだった。そしてあの時、後ろに乗せてもらったのが初めてのバイク体験だった気がする。矢鱈と白煙を吐いて爆音を撒き散らす125だったが、何よりもあの暴力的な加速(高々125ccであっても2ストやからね)に圧倒されたのを覚えている。「自転車より楽だ」と言う思いも確かにしたが、それよりもあんなじゃじゃ馬みたいな乗り物を自由に乗りこなすと言う事に憧れ、興味を覚えたのだと思う。


が、中学2年生の頃からの中学卒業まではそんな思いと裏腹で自転車にのめり込んでいったのも事実。あの頃、一方では何故か自転車で旅をすると言う事に非常に興味があったのだ。自転車で一日100km走るなんて事も、一度だけだったがやった事があって、体力的には滅茶苦茶辛くて(けど精神的には楽しいのだが)大人になればきっと自転車で長い長い旅に出るのだと心に決めていたのも事実。

で、高校生になって原付免許が取れる年齢になると自転車への興味は急速に萎んでしまうのだが、それでもバイクには合法的には乗れなかった。あの頃は或る意味「族」全盛期で、学校では平気でバイクに乗る権利を「三ない運動」で取り上げられていたからね。免許試験場に行くだけで警察から連絡が来るとか噂もあったな?(本当はどうだったのか定かではないのだが・・)まあ、あの「三ない運動」の反動で逆にこの歳まで乗って来れたのかもしれないが、、、。

で、初めてバイクに乗ったときのことやね?初めてバイクを運転したのは高校生二年生の二学期の終業式の日の午後。ハッキリと覚えている。学校の裏に住んでいたI君の家に皆で集まって、まあ二流高校の劣等高校生やったからなぁ、タバコ吸い始める奴、漫画広げる奴とまあ劣等高校生が色々集まって駄弁っていたのだが、誰かがI君の乗っていた山葉GR50を順番に乗り回し始め、その時初めて自分で運転したのだった。クラッチ付きのバイクなんて、頭ではどう操作するのかは見よう見まねで知っていたし、既に月一でMr.Bikeを購読したりで知識だけはあったからね。で、結果はと言うと頭の中では判っていてもクラッチを「スパッ!」と離してしまいウィリーをしたまま数メートル走って壁にぶつかって終了!だった記憶しか残っていない。

あれからかれこれ三十年近く経って、旅の道具が自転車からバイクに替わり移動できる距離は飛躍的に伸び、一日で長い長い旅に出ることは出来る様になった。未だに巧くは乗れてないですがね。

2009年2月11日水曜日

それでも乗り続ける天邪鬼

このご時勢、四輪だけでなくバイク界もご多忙にもれず不況らしい。バイクは道楽の世界なんで不況には強いなんて言われているがバイク屋の親父に言わせれば元々売れなかったのが、さらに売れなくなったらしい。しかもこの世界は高齢化の波をもろに被っている世界。40際、50歳のバイク乗りなんて当たり前、中には60歳過ぎや70歳過ぎて草レースを楽しんでいる人もいて傍目にはオッサン連中が元気だが、裏を返せば昔元気に走り回っていた我々の先輩世代がそのまま移行しただけの年齢構成。将来性なんて丸で無いのである。そう言えば我々が20代だったころ確かに50歳くらいで金に飽かしてBMだのドカだのハーレーだので速くも無いのに偉ばってるオッさんは沢山いた。逆に今の若い連中はバイクなんて見向きもしないほど健全でインドアな奴が多いんだとか。しかも恐ろしいのはこんな現象は日本だけでなくグローバルな現象なんだそうだ。
日本だけを見廻しても、我々の美意識には合致しないあの洋式便器みたいなスクーターに乗る若造が矢鱈と増えたが、よくよく考えればあんなモノで走り回ってい連中の中にテントと寝袋くくりつけて長距離を旅している奴なんてこれっぽっちも見たこともない。結局は大型スクーターとて、原付に毛が生えた程度の単なる下駄代わりでしかないのだろう。そんな点ひとつとっても将来性なんてあまり感じられない。最近は矢鱈と車高短にして車長の長いスクーターを見かけるが、あれも四輪しかもアメ車のイメージを金がないから仕方なく乗っている自分のスクーターに投影している訳で、既にその時点で四輪に意識の主役の座を奪われている。
十年前は想像出来なかった事だが、あと十年も経てば世の中から内燃機関を搭載したスポーツバイクなんて消滅するのだろうなんて事は、今の時代容易に想像できる。一時期復活した2ストロークが急速に姿を消したこの十年。今や地球温暖化はその影響が目に見えて被害をもたらし始め4ストロークの内燃機関も取り巻く環境は厳しい。環境対策であのカブにまでインジェクションが搭載される時代。内燃機関は既に成熟と言うよりは延命措置を施される遺物的存在になりつつあるのだと思う。となればこれからは電動バイクが期待されるわけだが、それが中々モノにならない。搭載性の低く重量も極端に重くできない二輪車と言う構造では電動化に欠かせないバッテリーやモーターを積むだけでも一苦労なのだろうし、しかも電動の場合、満充電でも航続距離が短くましてや電気スタンドなんてインフラも当然普及していない中で、スポーツバイクのこの惨状に、各社開発費をつぎ込んでまで電動スポーツバイクを作ろうなんて積極的に考えないのは当たり前の話。
恐らく電動の動力を搭載した二輪車でモノになるのは、残念ながらあの洋式便器の様なスクーターの形態なのだと想像する。どうせ長距離を旅をするなんてしないので航続距離が短く、荷物も積まないし速さも競わないのでスポーツバイクほど軽さに神経質にならなくても良い。ニーグリップなんてしないので股ではさむものなんて要らないし、、そうなると必然的にあんな形態に落ち着くのだと思う。
そもそも電動の動力は走り始めたときが最大トルクだ。と言うことは圧倒的な加速感がスポーツバイクの魅力だったのだが、今後は普通の四輪でも電動であれば圧倒的な加速が可能になると言う事でもある。しかも電動はある意味自由度の高いレイアウトを取れるので屋根のある個人向け四輪なんて言うのもありえる。そうなると益々モノグサでインドアが好きになって行く人類には益々スポーツバイクなんて不合理な乗り物は不要になるわけである。
我々は既に過去の遺物である。

2009年2月10日火曜日

煩悩は抜けず・・・(2009/2/7)











カブ90に乗り換えるか否かと言った迷いから、降りると言う選択まで考えていたのであるが時間切れ。2/8に車検切れを迎えるにあたり、結局自分自身で結論は出せず。この日あたふたと多摩地区にあるいつものバイク屋にSTを預けに行く。2ヶ月ぶりにSTに跨り北上するうちに自分が何に迷っているのか判らなくなった。心中では既に持つ意味を失っているとまで感じていたが、やはりバイクに跨り二気筒の加速に乗ってしまうと、そんなバイクに背を向ける気持ちからすっかり転向してしまう己の意思の弱さ。それだけ煩悩は抜けていないと言う事か?迷った挙句のあと二年乗る決意の代償はタイヤ交換とバッテリ交換を含んだ車検代20万円。

2009年2月4日水曜日

降りる覚悟

友人英も絹の道で復活の兆し。町課長も本田の水平単気筒に傾倒しつつある。皆、また一緒に走れれば良いなと思うものの、自分自身の中では今降りるという選択も有りと考え始めている。別に友人達の熱しかけた熱い思いに冷や水をかけたい訳では無い。其処まで自分は天邪鬼でなく、タイミング的な偶然であり他意はない。本当は正直言ってもっと今はやるべき事があるのではと言う思い、速度に対する憧憬の急速な萎え。「モノより思い出」とはどっかの箱みたいなクルマのCMではあるが、乗れない、乗らない状況でバイクは自分自身の心中で既にしがみ付く意味を失っている様に思えるのだ。捨てるか捨て無いか?正直迷っている。我々の聖書である麒麟の中で「50年早く生まれても遅く生まれても駄目だった」と言う様な科白があるが、自分自身が乗り始めて早や四半世紀、本当にこの時代にバイクに出会い、乗ってこれた事は幸せだったと思っているが、これからもずっとそうだとは限らない。ただ今はバイクと言う素晴らしい乗り物に感謝!

2009年1月25日日曜日

悩むなぁ

今年は2/8にSTの二度目の車検なのである。タイヤも減っているし、リアのブレーキも甘くなっているので、通常の車検代より金がかかるんだろうな?なんてのはどうでも良いのであるが、悩んでいるのは本当に車検を通してまで今後このバイクに乗るのかと言うことである。また飽きたのか?と思うこと無かれ。このバイクは乗り始めて4年で自己通算でまだ1万キロも走っていない(車輌本体も1万2千キロ位だ)。まして昔と違って毎週毎週乗れる訳ではない。最近でも昨年末の12/13からこの方ずっと乗っていない、今年はまだ一回も乗っていないと言うほどの頻度でしか乗っていないので、飽きたと言うのは余り当て嵌まらない。では何故なのか?一つにはそんな殆ど乗れないような状況下で、正直言ってそこまでして大型バイクにしがみつく理由が余り考えられないと言う点。今のこの状況は正直言って「床の間バイク」に成り下がってしまっているのと同じだ。大排気量のバイクを所有していると言うのは限定解除世代の単車乗りに共通する所謂「ステータス」だろうから、そんな気持ちだけあれば「持っておりさえすれば納得」なのかも知れないが、、、そんな虚栄心もあまり無く、心の中では大きさを競うだけのそんな時代では無いだろうととっくに気付いている。もう一つはモチベーションの低下だ。元々飛ばす方では無いが、大型バイクの醍醐味はやはり加速とスピード!と思っていた。が、昨年のナイトランで速度に眼がついていかないと言うことに愕然とし、そしてまた時を同じうして速度に対しての若い頃の様な「純粋な憧れ」と言うのが無くなってしまった事に気付いてしまったのだ。東本に言わせればBMWは「双六で言う上がりのバイク」だそうで(それはもしかしたらKシリーズの事を言ってるのかも知れないが)、それなりの速度で走る意志のある単車乗りには通用するのだろうが、私にはそれは通用しなかったのかも知れないな。

今、気になっているのはカブ90である。
昨夏の実験以来、その思いは強くなっている。
自分自身の今年の生き方は、昨年同様の「身の程を知る」の二年目の位置づけなので(と言って決して中長期生き方計画なんて存在しないのだが)、その生き方にもあっているし、実はあれ程地球に優しく、この狭い島国を巡るのに適したバイクは他に無いと思っている。
まあ90なのは、煩悩を捨てきれない排気量への未練?ではなく、実は50で感じた弱点を補う為の排気量と思っている。
こんな事をこの数週間ずーと飽きもせず考えているのである。
しかしながら実際、他方ではまだまだSTを「(何時か時間が取れる日が来るから、、、と)持っていたい」気持ちも有ったりして、、、、、、、、
行動に移すか、二年車検を通すかはまだ決めていない。
因みに二年車検を通したら、逆に次は50歳までは悩むことがなくなるのではないか(根拠は無いが)と思っていたりする。

オッさんは悩んでいる。

2009年1月4日日曜日

カブ屋事始

あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。因みにいつかは言おうと思っていたのですが、max180km/hではなくmax108km/hですけん、念の為。

さて、町課長様。
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