2012年9月22日土曜日

久々の信州行 2012/9/20~9/21














































2012/9/20(木) 晴 後 曇 夜 雨                     

朝4時起床。出発がこの時間。

どんなルートで行こうかと迷走しながらの出発。

そもそも八月末に急逝した母親の月命日も来ない間に、旅に出るなんて「本当に良いのか?」と自問自答をくりかえしながらの出発となった。
とは言え、走り出したら止まらないのが単車乗りのだが。


R134を西進、西湘BPに入ってもどう行こうか迷いが募る。
昨晩から悩んでも明確なルート取りが決まらず、御殿場から甲府に抜けるか、浜松から北上するか、はたまた、三ヶ日くらいから愛知県西部の訳がわからない国道を北上するか全く決心ができず、、、目が覚めたのが今朝。

漸く箱根新道経由で三島に出ようと決心したのが小田原の手前。

一体何を求めて走っているのか?「家出をするためさ!」

新東名は初めて通った。
速度違反注意の高速道路(ってなんか変な響き)とは聞いていたが、、。言い得て妙。
真っ直ぐで幅が広くて、そして走っているクルマが少ない。
直ぐに、国内リミッターの速度域。静岡の手前位で元気のいい鈴木スイフトを追い抜き調子に乗って走っていたら、いつの間にか0系新幹線「ひかり号」位のスピードに。。。
おいおい!って躊躇した瞬間、追っかけてきたスイフトに左から抜かれる。
スイフトって結構速いのね?家に帰って調べてみたら、スイフトのスポーツバージョンって速かったのね・・・けど何やってんだか、その後は激しく自己嫌悪しながら走る。


気が付けばアッと言う間に浜松西。
危ない新東名道を降りてR152にスイッチ。
まだまだ時間は9時前なんだけどもう月も半ばだと言うのに、茹だるような暑さ。

もう何度も通っているR152だが、、、案外好きな道。
天竜川に掛かるダム群を眺めながら、水窪を越えるとどんどん山は奥深くなり、旧街道沿いの宿場町の街並みが見えてきた。

やがて青崩峠との分岐が、、、右に行けば繋がっていない152号線。
ここは左に舵を取る。

この辺りで、強烈に記憶に残っているのはこの近所の天竜スーパー林道だ。
昔、スーパー林道は課町長様と走ったことがある。
あれはまだ32歳くらいの時だったなぁ~。
雨が降りしきっている林道の途中で、XR600で大転倒ししらびそ峠から北への前進を断念。
その後も雨の降る中ひたすら走って飯田市内に降り、ビジネスホテルか何かに泊まったんだったよなぁ。

と、、、思い出している間に、現代の峠越えはトンネルであっという間。。。
この道は何度も通っているのだが、このトンネルの過去の記憶があまり定かでない。
トンネル前後は素晴らしく走りやすい新しい道で、、これまたあまり記憶がない?
人間って苦しい記憶は覚えているのに、安楽な記憶はどうもすぐ忘れるみたいやね!

青崩峠を越え、いつの間にか兵越峠も気づかないまに峠越え、更にもう一つ峠を越え、1車線、1.5車線、2車線、また1.5車線の屈曲道を繰り返し走っていると、ただ無心の境地。
いくつかの峠を越えて、漸く見えてきたのが何度目かの大鹿村。

快晴の村の学校では運動会が行われている。そして大鹿村といえば昔からの憧れ、赤石岳を主峰とした南アルプスのアプローチにあたる。小渋川に掛かる橋の上から撮ったのは多分赤石岳。

ここから、小渋湖の横を通り伊那谷に下り、途中駒ヶ根市の「駒雪」という飯屋でソースカツ丼を食す。
おばちゃんが面白い人で、「暑いのにバイクは大変だね。どこ行くの?兄さん学生さん?二十代だろう?」だって。田舎のおばちゃんを騙す訳にも行かず、一応否定はする。
内心はムフフ。まあオバちゃんに人気があるのは正真正銘学生の頃からなんだけど、、と自画自賛。

駒ヶ根から伊那、伊那からR361に道を変え権兵衛峠の長いトンネルを経て伊那谷から木曽路に入る。午後になり雲が出てきた。
開田高原を経ると左手に何とも大きな木曽御嶽の山容が現れる。
このあたりも過去に何度か彷徨ってはいるが、正直、御嶽山は登ったこともなければ山容全体を見たこともなく、途中何度も停ろう、休憩しようと思う。
だが、何故か停める気にならず走り続けるのは、バイク乗りの宿命なんだろうか、、、
長峰峠を越え、用を足したくなり、漸くバイクを停め立ち寄った飛騨川沿いの道の駅で、群馬ナンバーのXJR1300の人と言葉を交わす。
この人は日帰りで富山まで行きたかったのだが断念し、これから高山、平湯、松本経由で高崎方面に帰ると言う。道中気をつけて!

こっちは目的地が新穂高温泉なので、平湯まではほぼルートが同じ。だが人と同じルートが気に入らない私は高山市街地に入りR158にルートを取る手前で恵比寿峠方面、県道89にスイッチしたのだが、、、これがとんでもない悪路。
山中で一車線、家もなく人の気配もなく、ただ高度を上げて行きそして高度を下げると、林の中の暗い一車線。
何が出てきてもおかしくなく、雲行きの怪しさも手伝って、もう泣きそうになっていたのに輪をかけて県道473との分岐を過ぎた所からいきなり半舗装路になって本当に泣きそうだった。

見覚えのある上宝村のR471に出たときには本当にホッと安堵。
そこからはR471で、ほぼ10分程度で今日の目的地としていた「奥飛騨リバーサイドキャンプ場」に午後5時丁度に到着。
1500円払い、今日の泊まり客を聞いてみると私一人だとのこと。
まあシーズンオフだからね、、けど河原に作られた自然を残した短い草地のキャンプ場は変な暗さがなく明るくて居心地
がよく、変に構えなくて良いキャンプ場だった。
夜は駅前の定石通り「独りでも鍋」で麦酒から始まり酎ハイそしてにごり酒へ。23時過ぎまで8月になくなった母親を偲び親不孝を噛み締めながら飲んでいた。夜半にパラパラとテントを叩く雨が降った。


2012/9/21(金)雨 後 曇 後 晴

目が覚めたのは5時半。いつもの携帯のアラームで目覚めたのであった。外はまだ雨。そのまま二度寝。次に目が覚めたのは7時。小便にテントを出てみると小雨と霧。そろそろ起きねば。
インスタントコーヒーを沸かし、もぞもぞと朝飯用に準備したパンを食って、面倒臭がりながらパッキングを始める。

朝九時過ぎ、パッキングも終えひっそりと新穂高に向けて出発。R471を新穂高のロープウェイ駅まで向かうも、その前に日帰り温泉の看板を見つけそのまま引き込まれるように\700を
払って入浴。サッパリするも。後でメールで実兄から「新穂高のバスターミナルの前の村営風呂はタダ!」と言うのを聞いてちょっと失敗。

久しぶりに野宿も出来たし、一人鍋も出来たし、湯にも浸かったし、ただ空は雨は止んだものの曇のままだし、何だか家出もすっかり満足してしまって、あとは早くも帰るだけなのだが、、、
そうは言ってもただ帰るのは勿体無いので、まずは松本を目指す。昔苦労して越えた安房峠を今時はトンネルでスィーと抜け、いつも工事中の沢渡の上高地の入り口も抜けて、
途中で松本電鉄の「新島々駅」にも寄って、松本に出たのは丁度昼前。美味い蕎麦が食べたかったのだが、適当な蕎麦屋の見つからないままに市内までやってきた反動でそのまま、大型
ショプモールの生姜焼豚専門店で飯を食う。

腹も一杯になったところで、この先を思案。松本まで出たからには・・と思ってみるものの、既に五十歳前のオッサンの頭は、ビーナスラインを通って帰る初めて松本にやって来たみた
いなコースしか浮かばず、結局そのまま松本城の端をかすめて、浅間温泉の前を通り、ビーナスラインにハンドルを向ける。途中、
また雨が降りだして嫌な思いをするのも束の間、まあウネウネと曲がりながら高度を稼ぐビーナスラインを淡々と昇る。この道は何度も通っているが、はっきり言って幅は狭いし、舗装も
あまり良くないし、有り難がって走る程のこともない。確かに美ヶ原高原あたりまで高度を稼げば景色は綺麗だが。天邪鬼なんでそんな事ばかり考えてしまう。

そのまま白樺湖まで抜けて、茅野方面に下りる。
高速を使うのは嫌なので、後は諏訪からR20を甲府まで下って、素直に御坂を抜けてと考えていたが。。。。
甲府までは順調だったのだが、甲府市内で渋滞にはまりR137に出るかなり手前で「河口湖⇒」の標識に釣られて向かった先が、かなりの傾斜路。鳥坂峠を越え芦川村に入り、更に先の
長い長い「若彦トンネル」を越えるとあっという間に河口湖だった。

呼び込みの多い河口湖畔の旅館街を抜け、富士吉田市内で最後の給油。時間は既に午後5時を回り、日の傾きかける中、山中湖畔を通り御殿場に出る。
あとは何時もの様に乙女峠を過ぎて、一気に箱根を抜けて小田原に抜けたのが丁度7時だった。あとは適当に元きた西湘BPを帰るのみだった。