2014年5月10日土曜日

20年ぶりの南九州 3000km

2014/4/27(日) 晴

朝0530過ぎに出発。足柄で給油、燃費リッター20㎞弱、燃費悪いなあ。新東名に乗り途中上郷できしめんで朝食とするが、いつ食べても変な食べもんだよなきしめんは。饂飩ほど美味くもなく、蕎麦ほど美味くもなく、名古屋のどっちつかずでどうにもならない地域性によく似ている気がする。
伊勢湾岸道が渋滞との事で、そのまま昔ながらの名神にずっと乗って、滋賀、京都、大阪と来て、中国道にスイッチ。西宮名塩で11時過ぎ、ここまで晴天で、思ったより早い。しかしながらここでデジカメを落としてしまい使い物にならなくなった。山陽道にスイッチ。快調に飛ばし児島着1340。
8時間で着いた?晴れているのと道がほとんど渋滞なしだったので、思ったより早かった。
いつもの製麺所でうどんで昼食。一旦、実家に帰り着替え、荷を置いて、買い出しに出かける。
駅前の電気屋で一番安いデジカメを買い、花と食材を買ってまた再び実家に戻り1600過ぎから裏山に墓参りに出かける。あとは家で鍋を作って酒を飲み、いつもの休日。

総走行距離 729.1km

2014/4/28(月) 曇りのち雨

朝0630出発。山陽道に乗るために玉島まで下道で移動しようとしたが失敗。
水島辺りで渋滞に巻き込まれ倉敷市内を抜けるのに1時間弱かかってしまった。
山陽道鴨方から山陽道入り。福山西で下り、R2から直ぐにしまなみ海道へ。
天気は曇りだが、見晴はよく橋の上から尾道が良く見える。
実家が児島なので備讃瀬戸が一番美しいとずっと物心ついた時から信じていたが、狭い海峡の斜面にひしめく様に広がった尾道の光景を見て、その一方的な思い込みは間違いだったと素直に感じた。
どんな美しさかと言われても表現に例えようがないが、狭い海峡にひしめき合うその姿が美しいのだ。行ったことは無いのだがボスポラス海峡に似ているのでは?等と勝手に思ってしまった。
因島、生口島、大戸島とのんびりと橋の上を走り過ぎながら今治に上陸。四国入り。
0900、今治で道を間違え一旦東に向かって進んでいたようで、小松の手前でR11に乗り直し。
漸く松山に出て、海沿いR379にスイッチ、JR下灘駅などを探しながら大洲に。
この町は「男はつらいよ 寅次郎と殿様」で舞台になった町。
城は町からやや離れた所に立っていた。
城の上から眺める大洲の町は小さい町だが、落ち着いたいい町に見える。駐車場のオッさんは商売っ気が全然ないし(駐車場に止めんでも二輪は上まで上がってもええ、金は要らんと親切にも教えてくれた)。
最近は日本全国どこに行っても、住みたい街が出来て困っている。
自分の末路は、引退して児島の実家の家守になって、親父と同じ老人ホームで死ぬのでないかなどと漠としたイメージがあったが、このイメージは払拭せないかんな。
ここまでの文章は八幡浜から臼杵に向かうフェリーの中で書いている。
八幡浜に着いた途端、小雨が降りだし九州は雨の上陸になる。
小雨の甲板で、あれる海を見ていたら遠くに機影発見、しかも二機。
あれはUS2で無いか?良く見ていたら海上に着水訓練をしている様子。
ひょんなことから珍しいものを見せて貰った。
フェリーには、バイクは私の他に女の子の乗ったハーレーの一台のみ。
上陸時に駐車場でこの女の子にどこまで行くのか聞いてみたら、臼杵に親戚がいて遊びに来たとの事。
かなり乗り込んだハーレーですねと聞くと、9年で18万キロ乗ったとのこと。凄い!永久脱帽モンやな。私なんか9年で僅か3万キロやもんなぁ。
臼杵に着くと案の定、雨。雨脚が強い。今日は佐伯まで南下しておきたい。
フェリー乗り場の横で本日の宿の佐伯のビジネスホテルも予約。シングルで6900円ってとんでもなく高いが、ホテルも数少ない町の様なので仕方がないか。R217を南下、山越えの県道に入った時からかなり強い雨が降り、ビビりながら18時過ぎに漸く佐伯入り。市内のスタンドでホテルまでの道を聞くと「佐伯一のホテルです」とのこと。そらそうですわな、この田舎町で6900円やもんな。
駅前のホテルにチェックイン、カッパも荷物もブーツもほったらかして飯を食いに行く。
駅前のコンビニは既に潰れ、町全体に活気はない。
駅前のラーメン屋でズルズルと飯を食い、夜の市内をしばらく散策するも見るべきものは余りない。寂しい町だなぁ。

総走行距離 302.1km

2014/4/29(火) 曇り時々晴後、曇

朝0630出発。曇りだが雨は上がっている。
R297を使って佐伯南部のリアス式海岸沿いに南下を試みる。
雲は厚いが、所々から日が差して何よりも雨上がりの田と海が雨で洗われた様に見え、とても透明感があり瑞々しい。こんな一瞬を見るために延々距離を走っている。
改めてこの小さな島国の良さを感じる。
しかしながら道は上下がはがしい、進むうちにどんどん道は狭くなり、波当津浦辺りでR297から海沿いの県道に分かれ益々道は狭くなり、まさに舗装されただけの林道の状態。一気に泣きが入る。海沿いの県道は断崖を巻き、高度を上げすっかり音を上げかけながら峠を越える。
峠を越え平地に出た所で、「東九州道、延岡南まで無料」の看板に、最初の思いは何だったの?と思う程呆気なく東九州道にスイッチしてしまう情けなさ。
そんな思いも東九州道で一気に速度を上げることで忘れ、無料区間を堪能。
延岡から再びR10の人となる。
途中、朝飯のためにコンビニに立ち寄った以外は宮崎まで休みなしに走る。
それにしても、昨日の大洲のシャッター通り商店街もそうだが、この辺りのロードサイド店は悲惨な状態やなぁ。どこまで走っても潰れている店が目立つ、元気なのは携帯会社位のもの。
潰れた物件には、貸物件の看板は出ているが結果が見えているので、誰も借りないやろうな。
少子化と過疎化、首都圏だけが潤って人口が集中して、地方経済はガタガタな島国の歪さをつぶさに感じる。ドげんかせんといかんと、何年か前に某売名芸人が県知事をしていて、都市部にいた我々には売名行為のそのものにしか見えなかったが、この状況を見たら、あれは案外本気だったのかもしれないなと思う。
1000過ぎ、漸く宮崎に入りR210にスイッチ。
所謂、椰子の木ロード。中央分離帯に延々と椰子の木が続く。
白波砕ける海を臨みながらの快適ロード。途中、堀切峠で休憩。峠のパーキングで地元ナンバーのZ2、Z-FX、、GSX750、CB750F等のピッカピカの地元スペシャルの集団に出くわす。
皆、オッさんばかり。オッさん、金持っているので、身なりもバイクもピッカピカ。
けど、駄弁ってばかりで走らんのやったら勿体ないし、意味無いで!バイクは走ってナンボや!
その後、日南迄移動。
「男はつらいよ 寅次郎の青春」の舞台にもなり一度は寄ってみたかった油津の港で一服。
落ち着いた良い港だ。
都井岬までの道はまさに南国、東南アジアの雰囲気を漂わせ緑が濃い。
今まで九州は何度も走っているが、縁のなかった都井岬に到着、時既に1200過ぎ。
ゆっくりして居れないので、鹿屋まで一気に走り、鹿屋航空基地で川西航空機製の二式大艇に初めて出会う。US1とか、昔のネプチューン(P2J)とかも展示しており、館内の零戦もしっかり見た。
基地を出たのが既に1600前、1630発の垂水からのフェリーにも何とか乗れ、桜島の全貌を海から見る。ここまで来ると、青空も見え暑い。1700過ぎに鹿児島鴨池港に上陸。
県道を薩摩半島を横切るように走り、吹上浜海浜公園には何とか1800に到着。
今日は昨年秋の猪苗代湖以来の野宿。テントを張っている人はもう一組の家族連れのみ。
旅先でも一人鍋を食い、食った後は寝るだけなので、鹿児島に来ながら芋焼酎ではなく、角ハイボール飲んで熟睡。

総走行距離 309km

2014/4/30(水)  曇り時々晴後、曇

朝0630出発。曇りだが雨は上がっている。
今日は距離も短いし、余り早出をしなくてもいいと思いながら、起床はいつもの0530。
都会の生活がまだ抜けきっていない。
パン&コーヒーで簡単な朝食、早々にテントを撤収して0700、吹上浜を出発。
R270を北上するも、途中で分かれ道を間違えたのか鹿児島方面に向かって県道を向かっていた。
旧金峰町辺りでおかしいと気づき、咄嗟の判断で金峰町役場方面に曲がる。
何とかR270に乗りなおす。この辺りは20年ほど前にもXRで来たことがあるが、あの時も平野の一本道で道を間違えた記憶がある。
なぜこんな簡単な地形で迷うんか?ワカラン。
その後は串木野方面に順調に淡々と移動。市来に入り、R270を海沿いの県道に逸れる。
ここ快走路で海沿いの二車線がアップダウンを繰り返しながら、延々とつづく。
交通量は数えるほどで、農業用のトラクタ等に気をつけながらも、何だかおかしいなと思っていたが、
案の定、世の中には裏はあるもので、行きつく先には川内原発があったのだった。
小便と大便を我慢しながら走っていたので、川内川のほとりの妙に立派な公衆便所で用を足すも、ウォシュレット完備。あとで確認するとやはり電源普及助成金?なるもので建てられた便所だった。
要は原発の余剰電力でウォシュレットも動いております。
川内川を渡る。広くて大きい河口。大きい川だな。
R3に合流し、阿久根からは長島方面にR389にスイッチ。
天気は朝から曇天、海からの西風が強い。
長島町は花の町とかで道沿いに延々と花壇が続き、花が植えられている。
古墳もあるとの事で、昔々から人が住んでいるということは住みやすいということでもある。
昨日までの南九州東部とは違って、熊本から鹿児島に向けての西部の方が、経済的には豊かなのかも知れないな。
長島港でフェリー待ち。フェリー待ちのバイクが多い。ハーレーも多数いるが、ハーレー乗りって皆なぜあんなに大荷物を積んでいるのだろうか?私ら山登りから野宿生活に入ったので、バイクの旅でも大荷物は罪だと思っているのだが、根本的な考えが違うのだろうか?
1120発のフェリーで海上を移動、1200前に牛深港着。
これもほぼ20数年ぶりの天草だが、今日は長崎までの道中でしかないので、西側の内海に面した県道を進む事にする。
ここもご御多忙にもれず、最初は舗装林道そのものだが、後半、本渡に近づくにつれ広い快走路に変わり、1300過ぎに本渡着。
途中で小雨から雨脚が強くなり、合羽を着る為に仕方無く止まるが、鬼池港まで行くと雨が止む。変な天気。
スカッと晴れんなあ?
鬼池港でもバイクが三台、先に待っていた。そのうちの二台はベスパの125。四台並べてみると、皆、都内ナンバーって事で奇遇ですなぁ。
1400過ぎの船に乗り約30分。口之津港に着いたのは既に1500前。
今日は長崎で泊り、夕飯は89年のGWに長崎目指してGPz400で走っていて、唐津で事故した時以来の念願の長崎ちゃんぽんと決めているので変な時間にしっかりと昼飯を食べるのも何故か気が乗らない、と思ってコンビニでオニギリとお茶を買ってしまう愚。
晴れたり曇ったり変な天気だが、この辺りで長崎での宿泊地を決めておかないと目的地が定まらないので、事前に調べておいた大村のキャンプ場に電話してみるも繋がらない。
スペアとして考えていた長崎市内にある市民の森キャンプ場に電話すると今日は泊まれるとの事なので、ここに決定。
あと一時間程度で到着すると伝えた手前、道草が出来なくなり、雲仙での温泉も全て我慢して、先を急ぐ。
それでも時すでに1700過ぎ、長崎市内に入るも坂は多いしキャンプ場までの道が全くわからない。
途中で警官に聞いたり、道行く人を捕まえて聞いて、何とか市民の森キャンプ場に到着。
街中とは思えぬ鬱蒼たる山の中、応対してくれた(恐らく市の職員)のお姐さんは待っていてくれたようだが、開口一番「余りいいキャンプ場ではないので」と言い訳ぽく話すのが気にはなった。
が、天気も回復傾向なのにここで野宿をするしか考えられず、お姐さんに言われるままにサイトに着くも、唖然。
誰も来ないような山の中の駐車場、その周りの草地のどこでもテントを張って良いとの事だが、何だか雰囲気があまりよろしくない。
お姐さんが折角待っていてくれて、その上案内までしてくれたので、葛藤はあったが、一晩ここで一人で泊まるか?
と訊かれると、どこぞの小説ではないが「私のハートはノー」と言っておりました。
再びお姐さんのところまで言って、今日はやはりキャンセルさせて欲しいと頼むとアッサリ了解はしてもらえたのだが、あとで思いっきり「大の男が怖くなって逃げたか?」と笑われているのでしょうな多分。
けど笑われたって、気乗りのしないキャンプ場ほど碌なことは無いのは、長い経験上で判っているのでこれで良いではないか。
結局、長崎駅前まで出て、予め調べておいた一番安いビジネスホテルに電話すると快諾されたので、そちらに向かう。
一泊、駐車場込で5900円。まあ観光地長崎では安い方だろう。
ホテルにチャックインして、暫く休憩、非常に疲れている。
ちゃんぽん有名店を探すのも、もう面倒になって、フロントの感じのいい奥様に近所のチャンポンの美味い店を教えてもらう。
ホテルから歩いて僅か数分の「金龍」にて、二十数年来の念願の長崎のチャンポンを食す。確かに美味い。
ビールも飲んで酔っ払って、店を出て長崎駅とかまで散歩に行くも、駅前のバイク置き場の雰囲気が極めてアジア的なのと、途中で見つけた「駅前製麺所」以外はさして面白いものもなく、宿にとぼとぼと帰り、角ハイボールを飲んで早めに意識を失っていた。

総走行距離 292.7㎞

2014/5/1(木) 曇りのち晴、後曇り

長崎からはビジネスホテルを0650に出る予定だったのだが、同じ宿で同じ時間に出発を企んでいたらしいチャリダーのオッさん(自分を棚に上げて)と話し込んで居るうちに、すっかり時間を忘れてしまい、出発は0700過ぎ。因みにこのオッさんは都内赤羽在住との事だった。まあご苦労様なこってす。
昨日と同じルートを逆行するのは私の流儀に反するのだが、長崎は半島の西端にあるために、脱出ルートが限られる。
今回ばかりは昨日と同じR251を逆に東進することになった。
森山からR57にスイッチ、島原半島の北側の海沿いに出て島原を目指す。
九州上陸以来このところ、曇り基調のスッキリしない天気が多かったのだが、半島の北側に北側に出て漸く、晴れ間が続くようになった。
そして、晴れると当然暑い。
淡々と波の静かな海沿いを走り、いつの間にやら0850島原着。
0940発のフェリーまで時間もあるので、途中のコンビニで買ったおにぎりで朝食。
島原から、島原湾を熊本まで横切って、1040過ぎに熊本新港着。
R501、R57で砥用方面に向かう。
熊本は鹿児島同様、バイクでくるのは20年ぶりの土地。
何となく思うことだが、砥用に向かう国道沿いの光景に、東九州南部とは違って活気を感じる。
まず潰れている店がない。そして田畑がまともに瑞々しく育っている。
活気を感じるのはこういう所から感じるのだろう。
この辺りは石橋探訪ルートだとかで、運台橋を国道上から見下ろしながら山中の快走路を進む。
通潤橋で丁度昼過ぎ。通潤橋は初めてではないが、あの上を渡ったことが無いので取り敢えず渡り、その後、ここで昼飯とする。
この旅始まって以来初めて、まともに正午過ぎのお昼の時間に昼食。
昨日までの反省で、昼飯を食ったら、寝る準備も怠らずにやっておくことが重要と悟ったので、阿蘇の坊中キャンプ場に電話してみる。
快諾を貰って、今日はバイク乗りも多いとのこと。
良かった、今日は真っ暗闇で一人ではないんや。
通潤橋からはR218、R265を使って阿蘇外輪山を越え、蘇陽からは外輪山上を快調に宮地に向けて走る。
阿蘇がバイク乗りに人気があることを再認識。
道がいい、景色がいい、そして何より温泉が多い。三拍子そろっているから?
まあ今更ながらだが。
生まれて初めて阿蘇に来たのが、確か91年の夏だった。バイクはテネレ600、友人英蟯虫の実弟と一緒だった。
92年にも一人で来た、確か秋。バイクはXR250。
93年にも一人で来た、あの時はXR600、季節は秋。
94年には大学時代の友人と三人で来た、バイクは同じXR600、季節はゴールデンウイークだった。
今回ほぼ二十年ぶりに再び阿蘇にやってきた。やはりここは何度来てもいい。
1430に早めに坊中キャンプ場に到着。1000円を払い、気さくな管理人とのオッさんと話をして、サイトに下りてみると、なるほどバイク乗りが多い。
テントを早々に張って、空荷で草千里に向かう。
僅か20分ほどでついた草千里は霧の中。日頃の行いが悪いからか?
草千里を歩いてみると、けっこう糞千里だと気づく、日頃の見方が変だからか?
中々、霧の晴れない草千里でボケっとしていても仕方が無いので、途中、本当に鉢を伏せた様な米塚を写真に収めながら、県道297を赤水方面に下りる。
赤水からはR57で阿蘇町方面に東進。
阿蘇駅前で夢の湯という温泉に入り、近所のスーパーで夕飯の買い出し。
今日は鍋ばかりでは飽きるので、たまたま見つけたジャガイモ肉巻き、アスパラ肉巻き、空豆(こいつは煮る)、そして持参のコメを炊くことする。
1800過ぎにテントに戻り、夕飯、そしていつもの角ハイボール。
バイク乗りが多いが、皆オッさんなためか、昔の様に周りにテントを張った誰かが酒を持ち寄って情報交換なんて光景も無く、周囲のテントは早々に就寝の様子。
私も疲労がたまり(もう若くはない)、角ハイボールを二杯ほど飲んだら、目が開かなくなって意識を失ってしまった。
流石に標高が高いので、夜中に寒くて何度も目が覚めた。

総走行距離   240.3km

2014/5/2(金)  晴

0530起床。晴れている。テントの中でパン&コーヒーの朝食を摂る間に日の出。
0700撤収。今日からは東に向かって帰途となる。
坊中キャンプ場を出て、R57で東進開始。トレーラーの後ろについて外輪山を越える時、朝日を背にした阿蘇連山の大展望を目にする。いつになるかわからないが、きっとまた来るぞ!と心に誓ういながら、大分県に再度入る。竹田まで交通量の少ないR57を快走。
R502にスイッチして、0745豊後竹田の岡城址に到着。ここで写真休憩。豊後竹田出身のKiller君に携帯でメールする。その後もR502を東進、JR緒方駅前を過ぎ一面緑の田園地帯の中、4日前に上陸した臼杵を目指す。
臼杵からはR207にスイッチ、行きつく先は佐賀関半島の突端、佐賀関港。
フェリー乗り場には0910位に到着するも、駐車場の前で待っていた係員に「10時のフェリーには乗れないので次は11時に船しかないよ」と言われ、何だか腑に落ちないままに駐車場にバイクを入れる。既に10時発のフェリー待ち8台ほどならんでいたが、まあ小さな船なのだろうと簡単に諦めは付いた。
長い船待ちの間に、Killer君からの返信を見る。「田舎の軽トラには気をつけて下さい」って、いやぁ、いつもいつも気遣いありがとう。ホンマにええ友人を持ったものだと思う。
長い船待ちの間に聞いた話では、最盛期にはこの航路は6時間待ちなんて事もあるのだと。
今日はまだマシって事やなk。1040位に船が入り、1100時間通り出港、九州とお別れ。
晴天の下、甲板に出たり入ったりしながら1時間程の時間を過ごす。
船の北側に地図上では長く西に伸びている四国の西の端っこ、佐田岬半島が現れ、1210無事三崎港に到着。オレンジライン?と言われるR197を伊方辺りまで走り、峠を越えて5日ぶりに再びR397にスイッチ。5日前は今にも降りそうな曇天だった海沿いの道も、多少風はあるものの今日は晴れて気持ちが良い。
そう思っていたら、途中、軽四が突っ込んで全焼している事故現場に出くわす。何も曲がっていない道で突っ込む方が難しいだろうにねぇ。
今日は1800迄に児島の実家に帰りたいため、伊予から松山道の人となる。
その後、風がきつくて走りにくいが120㎞位で、流しながら順調に距離を稼ぐ。
1500過ぎに香川県に入り、坂出からは瀬戸大橋を渡り、1600過ぎに再び児島に戻ってきた。
誰もいない実家に帰る前に、昨日からオイルの減りが気になっていたので、国道沿いのホームセンターに寄り10-30Wの普通の本田純正オイルを購入。オイルを入れてみると、何と1リッターも入る。まあ2ストローク並ですな。
実家に戻り、荷を解いていたら1730過ぎに、岡山市内に住む学生時代の友人Iが到着。
この日は鍋をしてしこたま飲む予定だったが、疲れていたのか腹一杯になって、角ハイボール二杯目くらいで一気に睡魔が来て、2200過ぎには布団を敷いて寝てしまった。

総走行距離  355.3km

2014/5/3(土)  晴

この日は大阪に移動するのみ。
昼過ぎまでウダウダ、ダラダラとあーだこうだとクルマ&バイク談義などをしていたが、いい加減、東に向かって進まないとまずいので1400過ぎに旧友Ⅰと別れ、水島から再び高速の人となる。
1700過ぎに大阪着。この日は実姉の家で連日の鍋宴会。
旅の疲れが昨日あたりからどっと出ていて、2100過ぎにはハイボールを飲みながら意識を失う。

総走行距離 216.6㎞

2017/5/4(日)  晴

1000過ぎに実姉宅を出て名神吹田から再び高速の人。
今日あたりから渋滞している。ゆっくり進んで1200過ぎに栗東で下り、実兄宅へお邪魔する。
姪っ子が遊びに行った以外は家族は皆さんいました。
昼食を食べさせてもらい、腹が朽ちたら眠たくなって昼寝させてもらう。
気が付いたら既に1600過ぎ。余りゆっくりしていると渋滞に巻き込まれるのと、翌日は雨の予報なのが気になって「泊まっていけ」と勧められたが、折角ですが辞退。名神竜王まで実兄の山葉に先導して貰い、1700前に再び高速の人。
この日は連休とあって、米原、一宮、岡崎、裾野あたりで渋滞し、結局、滋賀県から7時間近くかかって日の変わった0020に無事、芝浦に到着。

総走行距離  551.2km