2009年2月21日土曜日

あの頃

以前どこかに書いた気がするが、初めてバイクに興味を持ったのは小学校の3年生の頃。当時既に高校生の兄貴にくっ付いて遊んでいる餓鬼やった。やれマッハだ、やれWだ、RXだXSだなんて、耳だけは英才教育を受けていたのでね。あの頃、名古屋のN山高校の駐車場に止まっていたGT750の初期型を間近で見た頃から、未だに鈴木の2スト水冷三気筒が気になっているのは事実。既に内燃機関の終焉に直面しかけているので、2ストロークの三気筒なんて、もう永遠に乗れないのだろうけど。
で、初めてバイクに乗ったのは中学1年生の頃だった。私の記憶の中のバイクの記憶には実兄が必ず登場するのだが(大体、年齢が微妙に離れているのでこれは仕方の無いことだ)あの年の夏もそうだった。未だに覚えているあの夏休み。既に大学生で名古屋に下宿していた実兄が、黄色い鈴木ハスラー125に乗って帰省してきたのだった。そしてあの時、後ろに乗せてもらったのが初めてのバイク体験だった気がする。矢鱈と白煙を吐いて爆音を撒き散らす125だったが、何よりもあの暴力的な加速(高々125ccであっても2ストやからね)に圧倒されたのを覚えている。「自転車より楽だ」と言う思いも確かにしたが、それよりもあんなじゃじゃ馬みたいな乗り物を自由に乗りこなすと言う事に憧れ、興味を覚えたのだと思う。


が、中学2年生の頃からの中学卒業まではそんな思いと裏腹で自転車にのめり込んでいったのも事実。あの頃、一方では何故か自転車で旅をすると言う事に非常に興味があったのだ。自転車で一日100km走るなんて事も、一度だけだったがやった事があって、体力的には滅茶苦茶辛くて(けど精神的には楽しいのだが)大人になればきっと自転車で長い長い旅に出るのだと心に決めていたのも事実。

で、高校生になって原付免許が取れる年齢になると自転車への興味は急速に萎んでしまうのだが、それでもバイクには合法的には乗れなかった。あの頃は或る意味「族」全盛期で、学校では平気でバイクに乗る権利を「三ない運動」で取り上げられていたからね。免許試験場に行くだけで警察から連絡が来るとか噂もあったな?(本当はどうだったのか定かではないのだが・・)まあ、あの「三ない運動」の反動で逆にこの歳まで乗って来れたのかもしれないが、、、。

で、初めてバイクに乗ったときのことやね?初めてバイクを運転したのは高校生二年生の二学期の終業式の日の午後。ハッキリと覚えている。学校の裏に住んでいたI君の家に皆で集まって、まあ二流高校の劣等高校生やったからなぁ、タバコ吸い始める奴、漫画広げる奴とまあ劣等高校生が色々集まって駄弁っていたのだが、誰かがI君の乗っていた山葉GR50を順番に乗り回し始め、その時初めて自分で運転したのだった。クラッチ付きのバイクなんて、頭ではどう操作するのかは見よう見まねで知っていたし、既に月一でMr.Bikeを購読したりで知識だけはあったからね。で、結果はと言うと頭の中では判っていてもクラッチを「スパッ!」と離してしまいウィリーをしたまま数メートル走って壁にぶつかって終了!だった記憶しか残っていない。

あれからかれこれ三十年近く経って、旅の道具が自転車からバイクに替わり移動できる距離は飛躍的に伸び、一日で長い長い旅に出ることは出来る様になった。未だに巧くは乗れてないですがね。

2009年2月11日水曜日

それでも乗り続ける天邪鬼

このご時勢、四輪だけでなくバイク界もご多忙にもれず不況らしい。バイクは道楽の世界なんで不況には強いなんて言われているがバイク屋の親父に言わせれば元々売れなかったのが、さらに売れなくなったらしい。しかもこの世界は高齢化の波をもろに被っている世界。40際、50歳のバイク乗りなんて当たり前、中には60歳過ぎや70歳過ぎて草レースを楽しんでいる人もいて傍目にはオッサン連中が元気だが、裏を返せば昔元気に走り回っていた我々の先輩世代がそのまま移行しただけの年齢構成。将来性なんて丸で無いのである。そう言えば我々が20代だったころ確かに50歳くらいで金に飽かしてBMだのドカだのハーレーだので速くも無いのに偉ばってるオッさんは沢山いた。逆に今の若い連中はバイクなんて見向きもしないほど健全でインドアな奴が多いんだとか。しかも恐ろしいのはこんな現象は日本だけでなくグローバルな現象なんだそうだ。
日本だけを見廻しても、我々の美意識には合致しないあの洋式便器みたいなスクーターに乗る若造が矢鱈と増えたが、よくよく考えればあんなモノで走り回ってい連中の中にテントと寝袋くくりつけて長距離を旅している奴なんてこれっぽっちも見たこともない。結局は大型スクーターとて、原付に毛が生えた程度の単なる下駄代わりでしかないのだろう。そんな点ひとつとっても将来性なんてあまり感じられない。最近は矢鱈と車高短にして車長の長いスクーターを見かけるが、あれも四輪しかもアメ車のイメージを金がないから仕方なく乗っている自分のスクーターに投影している訳で、既にその時点で四輪に意識の主役の座を奪われている。
十年前は想像出来なかった事だが、あと十年も経てば世の中から内燃機関を搭載したスポーツバイクなんて消滅するのだろうなんて事は、今の時代容易に想像できる。一時期復活した2ストロークが急速に姿を消したこの十年。今や地球温暖化はその影響が目に見えて被害をもたらし始め4ストロークの内燃機関も取り巻く環境は厳しい。環境対策であのカブにまでインジェクションが搭載される時代。内燃機関は既に成熟と言うよりは延命措置を施される遺物的存在になりつつあるのだと思う。となればこれからは電動バイクが期待されるわけだが、それが中々モノにならない。搭載性の低く重量も極端に重くできない二輪車と言う構造では電動化に欠かせないバッテリーやモーターを積むだけでも一苦労なのだろうし、しかも電動の場合、満充電でも航続距離が短くましてや電気スタンドなんてインフラも当然普及していない中で、スポーツバイクのこの惨状に、各社開発費をつぎ込んでまで電動スポーツバイクを作ろうなんて積極的に考えないのは当たり前の話。
恐らく電動の動力を搭載した二輪車でモノになるのは、残念ながらあの洋式便器の様なスクーターの形態なのだと想像する。どうせ長距離を旅をするなんてしないので航続距離が短く、荷物も積まないし速さも競わないのでスポーツバイクほど軽さに神経質にならなくても良い。ニーグリップなんてしないので股ではさむものなんて要らないし、、そうなると必然的にあんな形態に落ち着くのだと思う。
そもそも電動の動力は走り始めたときが最大トルクだ。と言うことは圧倒的な加速感がスポーツバイクの魅力だったのだが、今後は普通の四輪でも電動であれば圧倒的な加速が可能になると言う事でもある。しかも電動はある意味自由度の高いレイアウトを取れるので屋根のある個人向け四輪なんて言うのもありえる。そうなると益々モノグサでインドアが好きになって行く人類には益々スポーツバイクなんて不合理な乗り物は不要になるわけである。
我々は既に過去の遺物である。

2009年2月10日火曜日

煩悩は抜けず・・・(2009/2/7)











カブ90に乗り換えるか否かと言った迷いから、降りると言う選択まで考えていたのであるが時間切れ。2/8に車検切れを迎えるにあたり、結局自分自身で結論は出せず。この日あたふたと多摩地区にあるいつものバイク屋にSTを預けに行く。2ヶ月ぶりにSTに跨り北上するうちに自分が何に迷っているのか判らなくなった。心中では既に持つ意味を失っているとまで感じていたが、やはりバイクに跨り二気筒の加速に乗ってしまうと、そんなバイクに背を向ける気持ちからすっかり転向してしまう己の意思の弱さ。それだけ煩悩は抜けていないと言う事か?迷った挙句のあと二年乗る決意の代償はタイヤ交換とバッテリ交換を含んだ車検代20万円。

2009年2月4日水曜日

降りる覚悟

友人英も絹の道で復活の兆し。町課長も本田の水平単気筒に傾倒しつつある。皆、また一緒に走れれば良いなと思うものの、自分自身の中では今降りるという選択も有りと考え始めている。別に友人達の熱しかけた熱い思いに冷や水をかけたい訳では無い。其処まで自分は天邪鬼でなく、タイミング的な偶然であり他意はない。本当は正直言ってもっと今はやるべき事があるのではと言う思い、速度に対する憧憬の急速な萎え。「モノより思い出」とはどっかの箱みたいなクルマのCMではあるが、乗れない、乗らない状況でバイクは自分自身の心中で既にしがみ付く意味を失っている様に思えるのだ。捨てるか捨て無いか?正直迷っている。我々の聖書である麒麟の中で「50年早く生まれても遅く生まれても駄目だった」と言う様な科白があるが、自分自身が乗り始めて早や四半世紀、本当にこの時代にバイクに出会い、乗ってこれた事は幸せだったと思っているが、これからもずっとそうだとは限らない。ただ今はバイクと言う素晴らしい乗り物に感謝!