2010年12月26日日曜日

Last Nightrun 2010/12/23

21時過ぎに家を出て約二時間。
R134>逗子>三浦>横横佐原>横環2号>県道大船線。
昔々、忍者750で琵琶湖に行った日が確か91年12月23日。
あの頃の冬は只管寒かったが、19年後の冬は只管生暖かかかった。
これで今年は走り収め。

















本日の走行距離 約70km

2010年12月11日土曜日

軟弱の極み(2010/12/10)

この日勤務が夜勤なので、前日から朝のうちに二俣川に出頭して免許を新しいのにしようと考えていた。

で、、前回までは免許更新と言えば当然バイクで行っていたのだが、今回ふと気づくと(気づくのが遅かった)この10月の初頭に夜の二時間だけバイクに乗って以降乗っていない。。。。と言うことは多分、バッテリーが死んでいる。

前日の晩からバッテリー充電しておけば済む話なのであるが、夜の遅くに帰ってきてバッテリを充電する気もない。と言うかそもそも「何が何でもバイクで行くぞ!」と言う心意気がない。

結局、翌朝(つまりこの日)長女を幼稚園までクルマで送っていく羽目になってしまい、渡りに船とばかりその足でクルマで二俣川にハンドルを向ける事にする。

この所の暖冬で日差しは暖かく、「この10年近くでずいぶんと温暖化は進んだな」等と考えながら金曜日の朝から二酸化炭素撒き散らしながら、四輪の箱に一人で収まってしまう居心地の悪さ。
昔なら、寒くてもバイクで出かけるのがポリシーだったと思うのであるが、つい先日に40代も後半(早い話がAboutFifty)の誕生日を迎えたオッサンにその意気も、気力も残っていなかった。

二俣川の試験場までの間、横浜新道から八王子バイパスの合流地点で川崎9Rに追いつかれ「格好いいなあ~」と既に四輪目線で見ている自分自身に深く反省!

因みに、違反者なので更新と言っても\4250もの大金を叩いて免許を買う様なものだ。
免許証自体は昨年辺りから、ICチップを利用した本籍の記載を隠した免許に変わっていた。
そこかしこに利権の臭いのする新免許ではある。

2010年6月5日土曜日

Mr.Bike休刊













たまたま本屋に行ってMr.Bikeが今月号で休刊と言うことを知る。
そう言えば大学生の頃は、部屋に山の様に積まれていたこの雑誌。
毎月必ず購入しなくなったのは何時の頃だったか?恐らくこの20年ほどは数冊程度は購読した記憶はあっても、毎月定期購入なんてしなくなっていた。
休刊と言う文字に懐かしさがこみ上げて、何時ごろからか装丁と紙質が立派になったこの雑誌を手にとっては見たのだが、パラパラとめくっただけで商品棚に返してしまった。
このあたりにこの雑誌が休刊に至った原因があるのかも知れない。
昔を懐かしむ訳でも、昔が良かったと懐古趣味に浸るわけでもないが、、、、
あの頃のMr.Bikeに比べ内容がちょっとも面白くないように感じた。
感じた、、、と言うのは記事が面白くないのは事実なのだが、
自分自身も、何を見ても読んでも面白いと思わないほど老成してしまったのだろうとも思う。

そもそもこの雑誌は何でもありの面白さが受けていた。
交通行政の矛盾、特に警察の不合理な取り締まりから切り込む硬派な反権力記事はバイク雑誌の自称「朝ジャ」じゃなかったか?
リレー形式の10000km耐久テスト、オーバー300km/h、バイクは男のロマンだ何て言うコラム群、俺もバイクフリーク、俺たちゃ街中のMr.Bikeなど、他誌とは違う視点、バイクに乗る人間そのものをネタにして、時にはシリアスに、時にはお笑いに、けど全てはバイクを通じて人の生き様を見せるなんてこの雑誌が昔は面白いと思っていた。
この雑誌からまたバイク界と言う狭い世界ではあるが、メジャーになった人間も多い。
東本昌平、佐藤信哉、故真田哲道、故広井てつお、板垣昌孝、三好礼子などなど。
だが、もう紙の雑誌からそんな情報を発信する時代ではなくなったと言うことだろう。
単に300km/h超なら今やYoutubeを見れば実際に映像で何度も見られる。
誰もバイクみたいな不合理な乗り物では遠くに行かないから10000kmなんて馬鹿なことはやらない。
やるのは昔を懐かしむオッサンだけ。
大体、バイクで生き様なんて語らないよ、格好悪い。
ってとこだろう。

バイクが特別な存在ではなくなった。反抗のシンボルでもなくなった。
若者は反抗なんて格好悪いし、したくもない。
バイクみたいな格好悪いものに乗って命落とすなら、サッカー見て皆と一緒に日の丸振ってるほうがよほど、自分の生き方にあっている。
なんて若者が増えた。
自ずと読者層は昔にしがみつくオッサンに限られる。
そんな変化に部数は減り、広告収入はどんどん減って継続する意味が見えてこないと言うことだと思う。

幸い、と言うかしぶとくMr.BikeはWebで復活はするらしい。
ただ東京エディタースはどうなるのかは知らない。
今後、紙で遺志を継ぐのは月刊RIDEとなるらしい。

青春時代なんて臭い言葉は言いたくないが、我が10代後半から20代のシンボルだった雑誌はこれで潰えた。

冒頭の写真は、手許に一冊だけ残る1982年6月号。

2010年5月16日日曜日

日曜午後の定番コース?(たぶんそうなる)













日曜午後、女房子供が買物に出かけてオヤジ一人。
天気は快晴とは行かないが、もう初夏を感じさせる日差しがまぶしい。
シメシメとつなぎに着替えガレージからバイクを引きずり出す。今日も厚木の山の中に行こう・・・
相変わらず屁の島の手前で駄々混みのR134。
なぜ皆混むのが判っていて車に乗って屁の島に行くのか?良く判らん。
まあそれは置いといて、屁の島を過ぎたら気持ち悪いくらいガラ空きのR134を西進。
今日は思ったより風が強く、海は波が意外に高そうだ。
平塚で北進するR129にスイッチ。多少混雑する国道を車の間を縫いながら前に出て厚木へ、天気が良いからかバイク多し。












厚木からR412で愛川方面に抜け、この辺りから漸く山の中に入っていく。半原から宮が瀬へのショートカット県道でダム沿いの道に出て展望台で一休み。










一応、お印程度にダム湖。
で、いつも思う事だが宮が瀬へはR412から県道64に回り込むのは基本下り基調。
県道64から上がって来た方がワインディングが面白そうだ。
今度来るときは反対周りで来てみよう。











本日の総走行距離 96.7km

2010年5月9日日曜日

CharincoRun

日曜午後3時過ぎ。
子供達が遊びに行って家に居ても落ち着かないので、何を思ったのか自転車でふらふらと家を出る。
因みにこの愛車は6年落ちの錆だらけ、後ろのブレーキは錆付いてまともに効かなくても、毎日の通勤に活躍する通勤快速である。
ベタ混みの近所の道端を、他の自転車に抜かれまくって15分。
屁の島の海に出た。




屁の島に繋がる橋は例のごとく渋滞で、車はまったく動いていないのだが、自転車だと屁の河童、とりあえずバイク乗りの習性で屁の島の先はどうなっているのか見に行く。
近所に住み始めて早6年になるのだが、島の先まで行くのは初めて。











島の先端は実は大きな防波堤であった。
太公望が多数。
子供連れも多数。
話は変わるが、バイクと自転車の違いはあれど、なぜどの写真もアングルは同じやろか?。
後ろか前から自転車撮ってるだけぢゃん!





同じところから屁の島側を望む。













観光灯台の他に、こんな灯台もあったんだ・・・。

















こちらは昔からある参道の方。
この先に有名な弁財天がある。










で、家までの帰り。
屁の電の名物、軌道部分である。
今日も電車は満員である。

この後、一山越える事になるのだが、毎日通勤でこいでいる為か、案外、途中で下りることもなく越えることができたのは意外であった。
家に帰り着いたのは4時40分過ぎ。
バイクを降りて、自転車もたまには良いもんだ。



本日の総走行距離 約6km位?

2010年5月2日日曜日

失踪とは行かずに疾走(2010/4/30)

この所の本音は失踪でもしたい気分である。
多くは語らないが推して知るべし。
でも失踪とは行かず、結局家出もどきの疾走なのである。
因みにこの日は一日中走り回る気であった。
気だけは若い(後に体がついてこないのを知る事になる)

午前5時過ぎするすると家の前を出発。



とは言っても前日晩まで何処に行くのか決めあぐねていた。

とりあえず西に向かって、箱根湯元の手前のR1の便利屋商店の前で朝食がてら行き先をしばし考える。

結局、そのままR1旧道で早朝の温泉街を抜け、R138にスイッチ。誰も走っていない乙女峠を気持ちよく越えて、御殿場に下り、R137で山中湖から河口湖、そして御坂を越え快晴の山梨県に出た。笛吹の手前で塩山方面にトラバースした県道はフルーツ街道だったか何だったか覚えていないが、何のことはない田舎道なのに凄く気持ちが良かった。

向かった先はR140で埼玉県なのである。

途中、生涯二度目の雁坂峠のトンネルを越えた。
この写真は山梨側の入り口。何キロかかなり長いトンネルを出た先は巨大なループ道なのだが、こちらはさすがに写真が撮れず。






こちらも山梨側の入り口。
向こうに写ってるライダー諸氏も良く見ればオッサン。
高齢化の波をもろに被っているバイク業界である。








久しぶりの秩父の道は走りやすい。
そりゃ埼玉県道路公社と国土交通省が何年経っても公共工事を延々やり続けているからね(ホンマか?)けど、嘘だと言う証拠もない。
丁度10年ほど前にこの辺りにきた思い出があるが、あの頃も秩父の奥は道路整備工事をやってた記憶がある。
そうこう考えている間に、秩父鉄道の終点、三峰口駅なのである。
関東の駅100選に選ばれたらしいが、乗客はまばら。
今日はSLが走っていないからか?(ホンマか?)

秩父でR140から県道にスイッチ。何故か二輪ライダー歓迎と言う小鹿野町を抜けるのだが、県道を抜けた先、R299から町中に入ってくる橋の際でレーダーを仕掛ける県警のポリ公を発見。
町おこしを台無しにする「彩の国の県警」なのである。
町長怒るで!
小鹿野からR299で上州に抜ける。
だんだん道が狭くなり曲がりくねったその先が、これまた生涯二度目の志賀坂峠なのである。

群馬側。景色はさほど変わっていないが。
あの御巣鷹山の麓を通ってこれまた生涯二度目のぶどう峠。
今回は何かと生涯二度目が多いが、それもそのはず。
知らずの内に以前と同じルートを走っていたのだ。
オッサンになると、道を覚えてしまっていて新しいルートを考えるのも面倒になるのか?



結局、信州に下りて、R141、R142、R152と同じ様な国道名を続けて走る。向かう先は最終目的地、ビーナスラインでほぼ確定。
ちょっと遅めの昼食は、当然そば。
佐久のはずれにて。





向こうに見えるのは八ヶ岳。
のんびり走る気で入ったビーナスライン。
思ったより道は狭く、荒れていて、こりゃ飛ばせないと思ったのもつかの間。ひょんなことからちょっと旧いフェラーリ、比較的新しい名古屋ナンバーのポルシェの後ろについてしまうハメに・・・
まあ適当について行くのだが(向こうも適当に走っているのだろうが)、ちょっとした直線での加速は確かに速いな(それを見せつけてる様ないやみな走りもしていたが、、、)けど、そんな走りじゃもっと速いバイク持ってこられたらチョンの様な気もするぜ!

まあポルシェのケツには何故か「RIDE」ステッカーが貼ってあって何故か急に白けた。(恐らく、オーナーはバイクにも乗るのだろうが、ライダーに対してのアリバイ作りか?)





生涯何度目かのビーナスラインは寒くて、今更ながらに何処が良いのか判らなくなってしまった。
飛ばせて気持ちのいい山道ならもっと他に沢山あるけどな。
そんなこんなで、早々に松本に降りる。
やはり信州は今が桜の旬。
下り道の途中で出会った桜。



せっかく信州に来たのだから。と、温泉に浸ることにスル。
慣れた諏訪湖周辺だったが、前に来た温泉を探すうちに一周してしまい、前の温泉より新しい公共温泉を発見、そこで一風呂。
名前が確か「すわっこランド」だ。
恥ずかしいので一回しか言わない。
温泉は良い風呂だが。



急ぎの旅ではないが(当然だわな、家出とか失踪の世界なのだから)中央道に乗ってしまう。双葉SAで信州と言えばこれ!のソースかつどん。ちょっとソースが辛目。個人的にはもっと甘い方が好みだが・・・
この後、気持ちよく走っていたらK1300Sにぶち抜かれて、急に機嫌が悪くなった。こっちは結構必死な回り方の160km/hなのに、相手はそこから加速して行って見えなくなってしまったのだ。



その後も、相模湖ICで下りたものだから家までの帰り道が判らなくなって、厚木に出るのに1時間くらいロスしたり、高速から左肩の痛さに堪えられない程の苦痛に陥ったり。
結局、一日で断念して家に戻ってきたのが21時過ぎだった。
もう若くもないし、一日600km程度が限界なのかもね。



本日の走行距離 689km










2010年4月25日日曜日

真昼間から城ヶ島














13時半過ぎ、漸く子供の相手が一段落。
最近はどこに行くにもつなぎに着替えているが、今日もそこまで行くだけなのにつなぎに着替える。

家を出たのが13時45分。
最初は先週同様、厚木から宮ヶ瀬方面を目論んでいたが、走り出して時間が案外遅いのに気づいて目的地変更、真昼間から城ヶ島詣でとする。



R134は案の定、渋滞していた。延々と続く渋滞を用心深く左から抜き、右から抜きしつつかわし、逗子、葉山を過ぎ、横須賀では自衛隊学校の横を通って三浦市へ、渋滞がほぼ6割。
目的地直前の城ヶ島大橋は昼間は50円の金を取っているんだ、知らなかった。
いつも夜しかこないので。

いつも一服する駐車場は土産物屋の渋滞に嵌っていたので、城ヶ島大橋から降りてくるところのループの内側の駐車場(と言っても行った奴しかわからんがな)で一休み。

帰りはいつもの様に横横佐原ICを目指したが、思ったより渋滞が激しく、横横に入ったら入ったで横須賀SA付近からここでも事故渋滞。帰りは殆どすり抜けだった。
結局朝比奈で下りて、市役所の前を通って帰って16時45分、自宅着。

今日、気持ち良かったのは、朝比奈の上りの少しのワインディングだけ。
GWは走るぞ!!

本日の走行距離 75km位(正確には不明)

2010年4月18日日曜日

桜は散ったか?山桜はまだかいな?











午前中は子供サービス。

午後から走ってきた。
R134からR129を抜けて厚木から宮ヶ瀬ダムを通り再び厚木へ。
宮ヶ瀬あたりは標高が高いからか、家の近所では散ってしまったソメイヨシノがちらほら咲きの所も、、、。

殆ど止まることなく約3時間。
昨日の寒さとうって変わっての暖かさだからか、バイクがいっぱい居た。
医者からアルコールを止められている今、やはり生活には加速が必要だ!















本日の総走行距離 99km

2010年4月3日土曜日

Nightrun断念(2010/4/3)

病み上がり、久しぶりにNightrunに行こうかと4日前からバイクはバッテリー充電していたが、、
花冷えで寒そうなので夜走る勇気が出なかったです、、、。

ところで、課町長様、ブログ見ました。

→http://d.hatena.ne.jp/kamikatuwankotei/

何時でも何処でも「鍋」の駅前林道と同じですわ。

軽トラ、エエですなぁ、一台欲しい!
欲を言えば幌は要らんなぁ。
まあやはり課町長の言う様にバンの方がエエやろうけどね。

カブと軽トラはこの国の生んだ乗り物の最高傑作ですわ。

ついでに昔からオート三輪てのも好きですが、、、、
この位の大きさので、トラックがあれば魅かれますね。私は。

→http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=1109#

やっぱり転ぶらしいですけどね。

2010年1月4日月曜日

2009年末帰省

2009/12/30 帰省

朝の4時前。闇の中オッサンは西に向かう。いつも年末は家でこじれる。今年も正真正銘の家出となった。西湘、熱函と糞寒い闇の中の一般道を走る。何も見えん。我慢に我慢を重ねて沼津でR1に乗った所で耐えられなくなり便利屋で放尿。冷たい朝食を摂るも寒さで食欲出ず。只管R1を西進BP、静岡で夜が明け、そのままR1のバイパスを走り続けるも、指が千切れそうに痛い。再びの尿意に我慢しきれなくなって磐田で東名の人になる。伊勢道の刈谷で朝8時。ここまででほぼ300km弱。行程の約半分程度。四日市で渋滞になり再びR1にスイッチしたのが裏目になり、再び伊勢道の人になる計画性のなさ。

この頃はまだ写真を撮る余裕があった。内陸の寒さを実感した名阪国道を抜けて出た先の香芝SA。早い昼飯。大阪市内まで入ってくると暖かさにホッとする。時間的に余裕があるのでei_gyong_chungにメールするも、時既に遅し。すれ違いの結果だった。直前まで何も連絡していないのだから仕方がない。尼崎のK君に連絡を取ってK君の自宅に向かう。1年3ヶ月ぶりに再会、年末の挨拶。14時過ぎに再び西進を開始。(写真は撮ったがK君の了解を正式に取っていないので、今回は載せない)その後、阪神高速を経て、第二神明に乗り継ぐ。姫路BPに乗った辺りで雨が降り出し、その後はペースがた落ち。日没は兵庫、岡山の県境辺りだったか。。。?備前を過ぎたのが17時過ぎ。実家にたどり着いたのが19時。実家では暫く立ち上がれなかった。齢85と77の両親は呆れていた。

本日の走行 705.8km

2010/1/2 自宅へ
正真正銘の寝正月だった。したと言えばこの冬一番の寒波が来た大晦日に墓参りに行った位で、それ以外は何もせず、下らない年末年始の番組を見るともなく見て、実父、実母、実兄、実姉と昔話を良くした。お互いの配偶者も子供も今年は誰一人として来ていなかった。只管昼間から麦酒をしこたま飲んだ。大晦日に母親が腕を骨折した昨年の年末とはうって違った長閑な年末年始であった。子供の頃の、昭和の時代の年末年始を思い出した。


帰りものたのた準備をしていたら朝11時過ぎになってしまった。幸いに倉敷は暖かかった。姫路BPで13時前。神戸月見山で14時前。途中で阪神高速を降りて一般道を走るも西宮から再び湾岸線に乗る。日没までに名阪道を抜けたかったが、亀山の手前でどっぷり日が暮れた。ここまで実家を出てから飲まず食わず。急に寒くなり、渋滞の続く伊勢湾岸道、東名道を只管路側帯を走る。丁度20年前の今日、瀬戸大橋の上でGPzで路側帯を走っていて香川県警に捕まった事が思い出され、本当は走りたくないが仕方がない。愛知県は思っていたより寒く、思った以上に肩と眼に疲労が溜まる。眼は両眼とも殆ど標識の文字が見えない程の状態。静岡に入ればやや暖かかったが、裾野から最後の足柄SAまでの上りで体の芯から震えがきた。24時、自宅着。早く寝たい。

本日の走行 695.3km