2013年11月17日日曜日
2013年11月10日日曜日
ステー修理&ETC再取付
2013/11/9(土)
朝から、先週破損した左前のカウルステーの補修。
ステーはハニカム状のプラスチック部品。
見事にネジ止め部分が破損している。
幅は16㎜。
最初は凹型の金属ステーを買ってきて、接着と考えていたが、世の中にそんなに都合よく凹型の幅16㎜のステーなんて見つかるはずも無く、結局、平板の穴開きステーを買ってきて、強力接着剤
で補修。硬化するまで一日放っておく。
2013/11/10(日)
朝から接着面の硬化を確認。
なるほど強力に接着している様なので、そのままステーとしてボルト止めして原状に直す。
その後、懸念だったETCアンテナをメーター上に両面テープで接着。
いつ降るともわからない曇天の中、昼前からテスト走行のため、横浜方面にハンドルを向け出発。
横浜の第三京浜都築ICからETCゲートを通り抜けようとすると、反応しゲートが開き通り抜けることが出来た。終点の瀬田で一般道に下りるときも「軽・二輪」と表示が出る。
試行錯誤を繰り返したが、結局、メーター上でETCと刻印している面を上に貼り付けるとアンテナが反応すると言う、所ごく単純なことに気付かなかっただけの様だ。
これで高速安く乗れるぞぉ。
来週からの週末が楽しみ。
2013年11月4日月曜日
久方ぶりの東北 野宿旅
2013/11/1(金)
休み。朝から人間ドック、午後は役所へ書類請求などで過ごす。
夕方前にETCのアンテナ位置を変えたのでテスト走行するも、やはりNG。
ETC不調のまま、18時過ぎ北に向かって走り出す。
例によって都内、首都高に乗るまで、そして乗ってからも大渋滞。
それでも東北道の手前で空き始め、東北道は順調な流れ。
いつもの様に佐野SAで夕飯を食べ、大体140㎞/hで北上を続ける。
宇都宮を過ぎ、那須まで来るとさすがに寒い。
ダウンをつなぎの下に忍ばせるも。寒くてやっておれない。
路肩の温度計は10℃を切っている。昔の感覚が通用しない昨今の気候だが、、
ちょっと東北を甘く見ていたか。
高速道路が民営化されて、サービスが良くなったと言うのは否定しないが、最近のPAは24時間開いているコンビニなどが必ずあって、落ち着いて高速の中でテントを張れない。
まあ五十歳にもなって高速のPAでテント張って泊まろうなんて方がおかしいだろうが。
23時前に郡山で一旦東北道をおり、麦酒とツマミを調達。
直ぐに東北道に戻るつもりが、何故か戻る道に迷ってしまい、福島に向けてR4を走る愚。
どうにか福島市の手前で東北道に乗り直し、松川PAに着いたのが日付の変わる前だった。
垣根の目立たぬところにテントを張って、初日の無事を一人で祝う。
それにしてもシュラフにくるまっていても寒い。
やはりちょっと東北を甘く見ていたか。
走行 約195㎞
2013/11/2(土)
朝、コーヒーを飲んだだけで出発。
東北道を福島西で降り、福島市内からR4を北上。
福島市内でいきなり濃霧にまかれるも、数キロ走ると霧は晴れ、朝から青い晩秋の空がのぞく。
福島から仙台に向けての朝のこの季節のR4。
もちろん初めて走った道だが、沿道には真っ赤に熟した実がたわわに実った柿木がここそこに並びに、まさに晩秋の日本の原風景。
「男はつらいよ」シリーズの冒頭に出てくる秋の深まった田舎の風景をほうふつとさせる。
こんな景色の中を快走できる幸せ。
30年来バイクに乗って来たが、こんな感覚はめったにない、かつて能登半島を初めてせローで走った時の朝、七尾の峠越えで見た朝日以来の感覚かもしれない。
ドライブレコーダーが欲しいと心から思った。
岩沼で宮城県に入る。
家を出た時から、目的地なんて明確に決めていなかったが、昨晩テントの中で地図を見ていて、仙台の海岸線に行かなくてはとハタと気づいた。
今から既に10年前に一度、東北の太平洋側を南下した記憶がある。
その時に走った海岸線を、あの3月11日に波が襲ったのである。
あれから二年経ち、事実を目で見ておきたいと思ったのである。
人は単なる物見遊山で無いかと言うかもしれないが、言いたければ言え。
何事も目で見る、肌で感じなければ、バイクに乗って旅をしている意味はない。
岩沼を過ぎ、海岸線が近づいた辺りから、景色が一変し、現実を目にする。
海岸線から3㎞ほどの幅で、街が無くなっていた。
その光景を見て、走りながら涙が止まらなくなった。
そこをかつて走った時、確かにあった筈の町が完全になくなっていた。
ぽつりぽつりと建っている家も、良く見るとガラスは割れ、ただ建っているだけ。
工事車両が頻繁にとおる。
農地の塩害の除去作業なのだ。
家の基礎だけは残っていて、街角があったのはわかるのだが、更地。
そこにバイクを止め、慰霊碑に手を合わせ、買ってきた線香を上げて合掌。
神戸の地震を現場で経験したが、二年経った時のことを思い出してみると、あの時は明らかに復興は始まっていた。
が、ここはまだ復興を感じさせる気配がない。
いつ来るともわからない地震、そして津波。
復興と一言でいっても難しい、課題は山ほどあるのは判るが、この復興の遅さは何なんだろう。
東京で、五輪だ、何だと浮かれている場合ではない気がするのは確かだ。
そしてまた涙。
泣いてばかりも居られないので、西に向かってはしることにする。
時間は10時前、案外、長居をしていた様だ。
仙台の中心部を抜け、遠刈田温泉を目指す。
空は深く青く晴れ、快晴。
平地から、やがて山間に。
走り易い国道を淡々と走る。朝飯も食べずに。
遠刈田温泉の公営温泉は、そんな国道が遠刈田の町に入った場所直ぐにあった。
新しい建物だが、木をふんだんに使い、天井が高く、今まで数多の公営公衆浴場には参上したが、ここはベスト3に入る。。と思う程、気持ち良い温泉。
湯はちょっと鉄分を含んだ、色。そして源泉は非常に熱い!
温泉を出て、街はずれの和風レストランで牛タンにありつく。美味。
秋の午後は早目に移動した方がいい。
午後2時前には米沢に入り、旅先では滅多に訪れない神社仏閣、上杉神社等を見学。
米沢からは、無料になったスカイバレーをほぼ14年ぶりに通る。
交通量は驚くほど少ないが、見事な紅葉。
そのまま、桧原湖沿いに出て、五色沼をまたも見ることは無く、天神浜に直行。
通算三度目の天神浜キャンプ場は、何時のころからかオートキャンプ場を名乗り始めたらしいが、バイクは1050円。
この季節にテントを張っているのは、車で来たファミリー一組のみで静かな湖畔の野宿やど。
いつでもどこでも休みの夜は鍋だが、ここでも味噌風味の鍋。
寒さ対策は、鍋、麦酒、地酒、そしてシュラフ内に忍ばせた使い捨てカイロ。
昔の野宿とは画然とした違いの中、変わらないのは中波で聞くナイター。
日本シリーズ第六戦、塵売相手に、神の子マー君擁する楽天を応援するも、酒で意識を失っている間にマー君は逆転され、結局負けた。
その後意識は完全に無くなった。
走行距離 約390㎞
2013/11/4(日)
朝7時半。遅い出発。
会津若松城によるも、9時まで役所は切符すら売ってくれないので、天守閣は諦め。
天気は昨日とは一転、曇り。
R121をそのまま南下して、田島から塩原に抜けるか、それとも川治温泉に抜けるか、暫く逡巡したものの、結局、川治温泉、鬼怒川方面から日光を抜ける事にする。
それが、もしかしたら災いの始まりだったのかも、、と思うのは今だから言えること。
ちょっとオーバースピード気味かなと走っているときは、逆に慎重だったのだが。
時間は10時半過ぎ。
川治温泉で公営公衆浴場を探している間、ホテルの駐車場でUターンして再び国道に出ようと直角に曲がりながら発信した途端、ストールしたのか、クラッチミートをミスったのか?立ちごけ。
幸い、人も巻き込まず、自分もけがは全くなかったのだが、バイクはアッパーカウルの左側に擦り傷。更にイグニッションオンにするとガソリンが滝の様にタンク脇から溢れてくる。
何故だ?
頭の中が真っ白になるも、取り敢えずサイドカバーからタンクカバーまで一体のカウル類を外してみると、樹脂製ガソリンタンクの左前脇についているガソリンポンプの部品が欠損している。
そこからガソリンがダダ漏れで、とてもじゃないが走れたもので無い。
幸い、今年から任意保険でロードサービスに入っていたのを思い出し、15万円まではサービスで搬送料金無料とのことで、何とか事なきは得たが、バイクをそこから府中のディーラまで運んでもらう羽目になった。
人は同時に運んでくれないらしく、結局鬼怒川温泉駅から東武鉄道ローカル線の旅に変更。
みっちり三時間かかって芝浦庵に帰ってきた。
走行距離 約180㎞
因みに、STのダメージは大きく、フロントカウルの内部ステーのボルトマウント部分が割れ、交換すると65000円とのこと。
当然、即決できる金額でも無く、自分で金属アングルを探してきて、加工しステー補強することに決定。立ちごけ自体が何十年ぶりだが、案外立ちごけってダメージがあるものだと再認識。