昔、中学生の時だったと思う。
親父の実家の児島に親父に付いて帰省した帰り。
当時既に新幹線は岡山迄も走っていたが、ひょんなことから親父が各停で帰ろうと言い出した。
岡山から山陽線の各停で何駅目だったか、着いたのが和気駅。そこで隣の線路に並ぶ同和鉱業片上鉄道線の気動車を見た時のがこの路線との出会いだった。
あんな旧いディーゼルカーでどこまで行くのか?
帰ってから地図を広げて柵原まで行く鉱山鉄道であったのを知ってから、事ある度にこの地方のローカル私鉄をウォッチして来た。
平成の半ばにJRが貨物の取り扱いを止めたのを切掛に廃線になったのだったか定かでは無いが、何だか非常に惜しい思いをしたのも事実。
ただ、私と同じ思いを持った人も世の中にはいる様で、今は保存会が月一回で動態保存した当時の車輌を動かして試乗会をしたり、廃線跡に新たに線路を伸ばしたりしている様だ。
いつまでも備前独特のお椀を伏せた様な山並みを背景に遺して貰いたい遺構だ。