2009年1月25日日曜日

悩むなぁ

今年は2/8にSTの二度目の車検なのである。タイヤも減っているし、リアのブレーキも甘くなっているので、通常の車検代より金がかかるんだろうな?なんてのはどうでも良いのであるが、悩んでいるのは本当に車検を通してまで今後このバイクに乗るのかと言うことである。また飽きたのか?と思うこと無かれ。このバイクは乗り始めて4年で自己通算でまだ1万キロも走っていない(車輌本体も1万2千キロ位だ)。まして昔と違って毎週毎週乗れる訳ではない。最近でも昨年末の12/13からこの方ずっと乗っていない、今年はまだ一回も乗っていないと言うほどの頻度でしか乗っていないので、飽きたと言うのは余り当て嵌まらない。では何故なのか?一つにはそんな殆ど乗れないような状況下で、正直言ってそこまでして大型バイクにしがみつく理由が余り考えられないと言う点。今のこの状況は正直言って「床の間バイク」に成り下がってしまっているのと同じだ。大排気量のバイクを所有していると言うのは限定解除世代の単車乗りに共通する所謂「ステータス」だろうから、そんな気持ちだけあれば「持っておりさえすれば納得」なのかも知れないが、、、そんな虚栄心もあまり無く、心の中では大きさを競うだけのそんな時代では無いだろうととっくに気付いている。もう一つはモチベーションの低下だ。元々飛ばす方では無いが、大型バイクの醍醐味はやはり加速とスピード!と思っていた。が、昨年のナイトランで速度に眼がついていかないと言うことに愕然とし、そしてまた時を同じうして速度に対しての若い頃の様な「純粋な憧れ」と言うのが無くなってしまった事に気付いてしまったのだ。東本に言わせればBMWは「双六で言う上がりのバイク」だそうで(それはもしかしたらKシリーズの事を言ってるのかも知れないが)、それなりの速度で走る意志のある単車乗りには通用するのだろうが、私にはそれは通用しなかったのかも知れないな。

今、気になっているのはカブ90である。
昨夏の実験以来、その思いは強くなっている。
自分自身の今年の生き方は、昨年同様の「身の程を知る」の二年目の位置づけなので(と言って決して中長期生き方計画なんて存在しないのだが)、その生き方にもあっているし、実はあれ程地球に優しく、この狭い島国を巡るのに適したバイクは他に無いと思っている。
まあ90なのは、煩悩を捨てきれない排気量への未練?ではなく、実は50で感じた弱点を補う為の排気量と思っている。
こんな事をこの数週間ずーと飽きもせず考えているのである。
しかしながら実際、他方ではまだまだSTを「(何時か時間が取れる日が来るから、、、と)持っていたい」気持ちも有ったりして、、、、、、、、
行動に移すか、二年車検を通すかはまだ決めていない。
因みに二年車検を通したら、逆に次は50歳までは悩むことがなくなるのではないか(根拠は無いが)と思っていたりする。

オッさんは悩んでいる。

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