なら独りで北進なのだが、今回ばかりは同行二人で行こうと、滋賀県に住む実兄を誘ってみた。
そして9/21に信州に行こうと話は決まったのだった。
2009/9/21(月)晴れのち曇り
朝4時55分、早朝まだ暗い中、家を出る。
西湘バイパスから箱根に出て朝5時半。予報と違い雨が降り出したので便利屋で朝飯を買う。雨宿りする程の降りでもなく、そのまま霧のR1を駆け上がり御殿場へ。山梨まで来ると晴れていた。
山中湖から僅かに見える富士山を狙う。
山中湖、河口湖と通り甲府を経て朝8時、甲府昭和ICから中央道の人になる。
中央道は空いていた、140km/h程度で流しながら久しぶりの南アルプスを左手に見る。
いつもは見えないはずの北岳が覘いているなと八ヶ岳SAからシャッターを切るものも、後で実兄に確認したらこれは摩利支天を抱く甲斐駒であった。
諏訪南で一旦中央道を降りて、R152にスイッチ。
山間部を高遠方面に抜けている快適二車線道は長閑の一言、高遠まではあっという間。
駐車場の向こうに見えるのは既に南アルプスで無く、中央アルプス。
伊那で再び中央道に入り、飯田、そして久しぶりの恵那トンネルを抜けると中津川であった。
正確に言うとここは信州長野県ではなく、岐阜県である。
集合はR19上のドライブインの駐車場。
着いたのは11時過ぎ。
8月以来に会った実兄は浮かぬ顔で「キャブおろさなあかん」と一言。
来る前から30年前の山葉の三気筒車は不調であることは聞いていたが、直前で変えたジェット類が合わなかった様で、真ん中の気筒だけがカブっていると言う。
結局、この後キャブを下ろして調整。
ここで、行き先を決める。
このままだとどこまで行けるかわからない。
しかも明日は雨天になると言う。
と言うことで、当初予定していた奥穂高から安房峠を越えて信州へと言う案はこの時点で消え、中津川からR257でトラバースして下呂、運よく行けば郡上八幡へと向かうことになった。
で、結局行き着いたのは下呂のちょっと北にある馬美村のキャンプ場。途中、山葉の調子が戻らず、再びキャブを下ろす必要も出てきて、早々に泊地へと言う事になった。しかも、確か15年前、課町長様と野宿できた下呂の河原は野宿禁止とデカデカと書かれ、期待は見事に裏切られ、キャンプ場の無いこの辺りを迷走した結果が、このキャンプ場であった。因みに季節はずれのためか、管理人のオバチャンは6畳一間のバンガロー一棟を一泊2000円にまけてくれると言うので、即決。
で、毎回どこに行っても駅前の人間は鍋なのである。よく考えると実兄とは、私が中学生、高校生の頃
に一緒に山に行き野宿をした経験は何度もあるが、お互いバイク旅で野宿と言うのは実はこれが始めてである。因みに実兄は単車暦35年。私は25年なのであるが。
持病のため、本来は麦酒好きなのに、あまり飲めない実兄と鍋をつつき、色々な話をしながら更けていく馬美の晩なのであった。一番の心残りは温泉地に来て、温泉に入れなかったことではあるが。
2009/9/22(火)雨のち曇り
夜半から雨、明けても小雨。開け放したバンガローの扉から山葉の三発を撮る。別冊モーターサイクリストの表紙的写真。
お互いオッサンなので起床は7時前。
鍋の残りに残ったきしめん一玉を入れ、朝食とする。
雨が降ったりやんだりで、あまり期待は出来ないので、二人で協議の結果、早々に南下して解散と言うう事にする。
ただ、ころんでもただでは起きないのがオッサンである。
悔しいのでR257を一旦北上して、R472せせらぎ街道にスイッチして郡上八幡まで行ってから南下と言ルート取りとなる。
R472せせらぎ街道は98年に一度寅で走ったことの有る道だが、何時来ても素晴らしい道。
あまり道自体を目指して走ることもしないのだが、この道だけは今度は降っていない時にまた来るぞと
いう気にさせる道では有る。
いう気にさせる道では有る。
道の駅美並で、雨でやる気を失くすオッサン二人。映っているのは実兄53歳。
結局、岐阜まで出て11時過ぎにR21の岐路で実兄と別れ、ここからは再び独り旅。
東海北陸道から東名の人になるも、前政権の失政で渋滞している東名道を三ケ日で見放し、その後は下道の人に。静岡県をほぼ西から東に横断することになった。写真はかなり疲れてきた富士の道の駅。
だが、疲れるのはまだ早かった。この後、三島からR1が渋滞。箱根峠の上りまで渋滞し、箱根峠を漸く越えたと思ったら小涌谷あたりで小田原辺りまで続く大渋滞に巻き込まれ、結局、箱根新道に乗りなおすハプニングもあり、家に着いたのは晩の22時。今回何が疲れたって、この箱根越えが一番疲れた。
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