2016年5月5日木曜日

一人駅前企画 「尻の下尻屋崎」 2016GW

4月中旬の木曜日、その日は珍しく座って飲んでいた。
「今年の連休、どこか行くんですか?」
「何となく尻屋崎かなぁ」
「それどこですか??」
「下北半島の先っぽ。」
「バイクで???何があるんですか????」
「なーんも無い。野生の馬と灯台があるだけ。」
「・・・・・」

遠くに行きたいという気持ちが17年ぶりに尻屋崎の地名を思い出させたのだろうが、、、、
少し相手を驚かせたいという気持ちも正直あっただろう。
それと此処の頁をいつまで経っても催行年月日未定で置いとくワケにも行かず、、、。

http://www.ekimaerindows.com/main/kiseki/x02/x02index.html

だから目的地は尻屋崎のみ。


2016/4/29(金) 晴後曇後雨

 
第二京阪経由、名神経由で中央道に入る。
昔に比べれば暖かくなったとはいえ、恵那峡まで来るとさすがに寒く電熱ウェアをつなぎの下に仕込む。天気は快晴、諏訪まで来て、漸く西日本から東日本に来たなと実感。

 

八王子から最近開通したのだと思しき圏央道に入る。
晴れてはいるが、異様に風がきつい。
高架の多い高速では突風でバイクが持っていかれそうで、正直怖い。
もう30年近く大きなバイクに乗っているが、何年乗っていてもこの強風下での怖い感覚は抜けない。それはあの98年の竜飛での転倒以来。


 
会社員となった初年度、所謂佐野絶望工場時代に研修で居た事のある佐野。そのSAで。
あの頃、日がな一日白いナッパ服を真っ黒にして働いても、夜は不味い寮の飯は食えず。
結局、近所のラーメン屋でビール飲んで佐野ラーメン食ってたなぁ。
あの頃はまだ佐野ラーメンなんて今の様にメジャーじゃなかった。
なんせテント張りのラーメン屋が多かったもんな。
 
 
 
東北道を黒磯くらいまで来てテントを張るつもりだった。
電話してみると、予約で一杯。フリーサイトでもテントは一張りも張れないと言う。
野宿を「キャンプ」だのと言って近年流行の様だが、この異常な過熱ぶりは何なんだ?
とは言え、91年のGWにも山梨でキャンプ場を探し回ってどこも一杯だった記憶がある。
 
仕方が無く、猪苗代のキャンプ場に電話する。
「泊まれますが、雨風強く、寒いですよ」と東北訛りですまなそうに管理人氏は言う。
けど行くしかない。
結局、管理人氏の配慮でBBQ場の屋根の下にテントを張る。
 

 
この日は豚うどんすき。
まあどこまで行っても、駅前の人間は「鍋」しかない。
その後、秋川のリターンライダーの59歳の人も来て、同じ屋根の下にテントが二張り。
深夜、何度か強風と横殴りの雨が吹き荒れていたが新しく導入した羽毛シュラフで快適。
それよりも、一気走りの影響がもろに腰にきて、、、、この日から旅の間はずっと腰痛に悩まされる結果となった。

総走行距離 787.9km

2016/4/30(土) 豪雨後曇後晴


 
漸く雨が上がり晴天の予感がする早朝の猪苗代湖。

 
猪苗代ICから直ぐに磐越道の人。
郡山から東北道にスイッチするが、このあたりのクルマの流れの速さは一体何なんだ???
地元ナンバーや、仙台、宮城、岩手辺りのナンバーを付けた東北のクルマは異様に飛ばす!
140km/hなんて当たり前、豪快にアクセルを踏むのだろう、リアがぐんと沈んで加速する車の多いこと。恐怖すら感じる。
そんなクルマの後ろについて順調に走っていると、時たまいきなり追越車線が渋滞。
その先頭には大体、首都圏ナンバーの小箱車か、メルセデス、BMなどの流れを読めない都会の自己中車が多数。
相当、地元車にストレスたまるだろうね。
 
 
この日もほとんどが高速移動なので、途中休憩一回くらいで盛岡まで来た。
ジャジャ麺なるモノを初めて食す。まあ美味。
結局この手の地元B級的な麺は自分で味をつけさせるのが人気の秘訣みたい。
伊那のローメン然り。
まあ伊那のローメンよりは確実にジャジャ麺の方が美味いが。

 
盛岡から下道。
下道を走っていて思うのは、この辺りから青森までは同じ東北でも、福島や宮城、岩手南部に比べると丘状の上に街があって、純日本的な風景というよりは北欧に近い印象を受けた。
まあ北欧なんて行った事が無いが。
途中、二戸の金田一温泉でひと風呂浴びたりしていたら、結局、八戸までたった100㎞弱に4時間掛かってしまった。
 
 
おまけにこの日は矢沢永吉のコンサートが八戸であった様で、、ホテルは軒並み予約で一杯。
ようやく見つけた本八戸駅に近いビジネスホテルは6800円、、、。
滅入ってばかりも居られないので、洗濯が終わったら八戸屋台村に繰り出す。二軒をはしご。
一軒目はビール二杯で出てきて、二軒目は呼び込んでた店のお姉さんに釣られる様に入ってしまったが、これが大正解。10人くらいしか入れない店だが、色んな地方から来た客がいては話を聞いていて面白かった。
 
たまたま右隣に居た(奥さんが石川さゆり似の別嬪さんの)石巻の夫婦とは昔、震災前に石巻に行った事があるとの話をしたことから話が弾み、地震の時にたまたま彼らの家が高台にあって助かったこととか、大阪人には中川家の漫才通りの変な人が多いこととかで盛り上がった。
そこに北海道の北見から来たと言う賑やかな男女三人組がやって来て、網走はこの季節にまだ雪が降ってるという話でさらに盛り上がり、最後は左隣に座っていた奥さんが高知出身、旦那は神戸出身という夫婦と話していたところでタイムオーバーだった気がする。
この旅で他の旅人と会話が弾んだのはこの日が最後だったが。
 
総走行距離  448.6km
 
 
2016/5/1(日) 曇後快晴後曇後雨後晴
 
 
八戸を6時半に出たころには曇っていた。
三沢まではまだ曇り、薄暗い空の下、農地か荒地か解らないモノトーンの風景の中を、単調な国道で北上を続ける。ここまで天候と風景の演出が徹底していると、最果て感はあるな。
原燃の中間処理施設や、射撃訓練場など、まあ都会近郊には置けないものを全部持ってこられたこの国のタブーみたいなこの辺りだが、、、、。
 
東通村に入ると今までの曇天が嘘の様に一気に青空が広がる。
下北半島の東北の端っこだけに、海流や風向きでの関係か、そこだけが天気が違うのかも知れないな。



 
尻屋崎に行く前に、昔から気になっていた地名「尻労」・・・しつかり、、、に寄ってみた。
昔は陸路もなく、尻屋から船でしか行けなかった集落だったとのことだが、今の時代はバスまで通っている。
イカ釣りが盛んな漁港らしく、勝手にイメージしていた「陸の孤島」感は見事に外れた。
ここで大阪出身で震災の復興支援で来て、今は塩釜?で働いているというオッちゃんに出会う。
大阪に休みの度に戻るのも面倒で、軽トラを改造したキャンピングカーで東北を一人で気ままな旅に出ているらしい。
まあ傍から見たら羨ましいといわれる部類の人。
私と同じ匂いがするが、、世間常識的にはやはり変な人が多いね、大阪人って。

 
で、遂に尻屋崎にやって来た。
寒立馬が草を食んでいる。

 
このアングル。
昔、RMX250でも撮ったな。あれは99年。
 

 
一人「尻の下尻屋崎」敢行!
ここまで来た!と関係者多数にメールを送る。
勿論、先日一緒に飲んでいた某人にも、、。

 
寒立馬の背後から撮る。
尻しか写っていない、、、。
これ相手が人間の女性であったら完璧に犯罪(笑)
まあそんな事は常識のある大阪人だからしないが。
 
尻屋崎を折り返し点に南下して帰る。
むつ市内までは晴れていたが、青森市内に出るまでに既に陸奥横浜辺りでは曇天に戻っていた。
天気予報では青森は曇り、けど空の感じでは雨が降ってもおかしくない雰囲気。
今まで走ってきた所の桜はどこも散り始めていたし、、、、。
この時、弘前まで足を延ばす事すら考える余裕がなかった。
尻屋崎しか眼中になく移動してきたので、天気が悪ければ良い所まで帰ればよいと、青森中央から再び東北道の人。
弘前城があったな~と気づいた時には既に、秋田の小坂まで移動していた後だった。

 


 
で、この日は結局「この先積雪、八幡平方面通行止め」という看板にビビりながら、小雨の降る中を玉川温泉を横目に見ながら只管南下、田沢湖の市営キャンプ場で走り止め。
夕方になって漸く太陽が覗き、メールを確認すると「弘前城の散り桜は見ることできました?」とのメッセージ。
嘆いても後の祭り。
 
総走行距離 448.4km
 
2016/5/2(月) 曇後晴
 


 
田沢湖は9年ぶり。
いつまで経っても歳を食わない辰子姫。そこの祠の桜がまだ咲いているのを見て、青森よりも秋田の方が開花が遅かったと旅の途上で誰かに聞いたことを思い出す。
ならば、鹿角の桜はきっと綺麗なはず、、、。

 
と、訪れてみたものの、見事に散ってしまった後だった。
咲いていたのは  川沿いの桜並木のある通りの端にあった枝垂れ桜のみ、、残念。


 
この日は横手の蔵元に寄りたくて、ちょっと時間を使って朝から田んぼのど真ん中の中里温泉に入るなど余裕。
横手で100年続いているという「浅舞酒造」さんで土産用、ご自宅用(所謂、旅の途上で飲む酒)を仕入れ、後は再び南下を開始。



 
途中、鳥海ブルーラインに寄りクネクネ道を堪能。
余裕でいたが、新潟の村上に着いた頃には既に4時前。
この日は上越まで行きたかったので、もう帰りには使わないと心に決めていた「伝家の宝刀」(高速移動)を遂に抜いてしまう。

 
新潟県を侮ってはいけません。
海岸線がひたすら長い。(地図で見れば一目瞭然なのに、、、)
結局、上越の大潟キャンプ場についたのは6時前だった。
ここ迄来ると昨日までの東北の寒さは何だったんだと言う位、暑くて仕方がない。
新潟限定のサッポロビールを飲んで、目先を変えて焼きそばを作って食ったら、もう良い子は寝る時間。「浅舞酒造」さんの「天の戸 氷晶」を飲んだら瞼があかなかった。
 
総走行距離  496.0km 
 
2016/5/3(火) 晴後曇後小雨 後半強風
 


 
少し早めに大潟を立ち、親不知で休憩。
煙草を吸わなくなったせいか、一旦走り始めると2時間でも3時間でも延々と走り続ける傾向にあり、意識的に休憩を入れないとハムスターになってしまいそうなので、コーヒーばかり飲みたくもないのだが、コーヒー休憩。
それにしてもこの日差しは既に夏のモノ。
まだ5月に入ったばかりというのに、、、、。

 
R8を只管南下、富山市内の高架部分から立山方面を望む。
剱岳は写っていないか、、、。

 
富山に入るといきなり強風。
何だか初日にも風に悩まされたが、ここにきてまた風に悩まされるのか。
しかも新潟では晴れていた天気も、何だかこのあたりから雲行きが怪しい。
R41にスイッチして、飛彈側に入ったあたりで、小腹がすくので五平餅でも食す。
ここでも圧倒的な強風、ここに来るまでにタンクバックを風で持っていかれそうになったり散々。
 

 
漸く着いた油坂峠(岐阜と福井の県境)
高山からせせらぎ街道を選んだのだが、九頭竜まで抜けようと考えるのだったら、R158を使うほうが賢明だった。
せせらぎ街道で郡上八幡に出る手前で県道82に乗り換え、白鳥方面に抜けようと企てたのだが、確かに20年前の昭文社のツーリングマップルでは、繋がっている様に見えるも、実際足を踏み入れると林道、未舗装の峠越え。
断念して素直に郡上八幡まで出て、R156で白鳥に出る始末。
その時点で、午後1時を過ぎてしまい、県道での時間のロスが後で響いた。

 
強風の中、九頭竜までやってはきたものの、この時点ですでに意識はマキノのことしか頭になかった。

 
で、福井から今庄経由R365で滋賀の木之本に出て、漸く着いた駅前の原点、「マキノ知内浜」だったが。見るからにサイトは一杯。
しかも一泊で5400円だと。
バイクのツーリングの人は東屋の手前あたりで1500円でいいですと言い直してやがったが、、、
完全にあのマキノ浜はもう我々のモノでは無い別世界となってしまった様だ。
こんなところで泊まりたくもないので、「昔からこんなに高かったでしたっけ??」と嫌味を残して去ってきてしまった。
 
尻屋崎を出たころから。
今回の旅の締め括りは、風が吹こうが雨が降ろうが、原点「マキノ」でテントで過ごすと考えてきたが「こんな終わり方はないよね」と一人落胆。
 

 
そのままの足で、大阪まで一気に帰ってしまい、午後8時半前。無事帰投。
 
総走行距離 616.7km 
 
今回の旅の総走行距離 2787.6km