2022年4月21日木曜日

今回の引越で思ったこと②

 バイクもモノの一つでしかない

家中、引越荷物であふれかえる中、前の家にRDを取りに行き乗って帰って来た。今回の集合住宅はバイク駐輪場は全て野外。二台持ちで断られることはなかったが、もう少し家の選択時にバイク駐輪場の確認が必要で無かったか?と暫し自責の念に駆られる。水平対向は建物直近の日陰に安置出来るものの、RDは原付などと同じ駐輪場の炎天下に晒され、しかも盗難と劣化の心配があるので先が思いやられる。その刹那、この環境下で無理して苦労して大きなバイクを複数持つ事が急に無意味だなと急に思えて来た。バイクに乗る道楽そのものや、バイク自体に飽きが来た訳では無い。駄菓子菓子、やはりモノにも旬があり、モノが持つ価値は使う側の意識で変わる訳だ。17年間で僅か6万㎞しか乗っていない水平対向の価値は長い距離を只管走り続けるには最高の道具と言う事に尽きるが、あと精々20年くらいしか生きられない中で、もうそんな機会は永遠に来ないだろう。それは自分の中で確信に近い。そうなると水平対向を苦労して持ち続ける意味はあまり無い。ただバイクはモノであり道楽とは言え、自分のほぼ半生の生き様を形作って来たモノでもある。だから全て手放してしまう事は無いのだが、このままの状態ではバイクはただ持っているだけのモノであり、それは家の中に渦高く積み上げられた物欲の残滓=例えば弾かなくなった楽器や、使わなくなった絵画道具なんかと同じ単なる不要なモノと変わらない気がする。まあけどよくよく考えてみたら不要なモノを家中に匿っておく程の余裕が、物理的にも、経済的にも無いのが一番の問題と言う事に尽きるのだが。

待て!次号!

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